2月22日。
1月から2月にかけて続いていたハイプレッシャーな日々から一旦の開放。
朝のうちは若干ぼけーっとしていましたが、これではイカンと思い、この日初日の「
文化庁メディア芸術祭」に行きました。

しかし、結局序盤で頭がフリーズしてしまったので、基本的に呆然としながら見学しました。そして「まどマギ」の展示室にヲタさんオーラむんむんの方々が結集していたのが印象に残りました。
自分も10代半ば頃までは、アニメやマンガが大好きで、アニメ雑誌の「アニメージュ」も毎月買っていたし、スクリーントーンを切り貼りしながらマンガを描くような時代もありました。でもいつの間にか興味を感じなくなってしまいました。それは年齢的なものもあるかもしれないし、所謂「萌え系」と呼ばれるアニメの興隆や享受層の拡大とも無関係ではないような気がします。
せっかくなのでここでアニメについても考えてみたいところですが、恥ずかしながら、現在の私は、瞳の大きな女の子がたくさん出てくるアニメについては、鑑賞方法がよく分からないというのが正直なところです。
以下に、かなり主観に満ちた文章が続きますが、自分は現役のアニメファンではなく、反論をされるとつらいものがありますのでどうかご容赦を。
まずは私の偏見から入ります。現在、大量に流通する少女系アニメというのは、プロットやキャラクター設定において享受者が好む「型(タイプ)」というものが存在し、これをうまく活用しているゆえにコマーシャリズムにおける一定程度の成功を獲得していると私は考えています。
たしかに、キャラクター設定における「型」は、能や歌舞伎においても見られ、むしろそれが鑑賞の一助となっているということが出来ます。あるいは、ヴィジュアルの継承という点では江戸狩野が行ってきた図像継承の方法論と比較することも可能でしょう。
しかしこんにちのアニメにおけるヴィジュアルについて考えると、(主に男性の)セクシュアルな視線に応えられる要素(例えば、過剰に大きな瞳、庇護を必要とする年齢を思わせ童形でありながら身体の一部がそれに比して成熟している、あるいは露出の度合いなど)がまるで護符のように備えられているという点で異なります。
一方、キャラクター設定についてですが、例えば「まどマギ」のように「戦闘美少女」と呼ばれる類型においては、彼女たちは様々なかたちで戦闘能力(魔法であったり機械操縦の能力であったり)を備えています。これをシンプルに分析すれば「美しさ」と「強さ」の双方を有することへの賛美、あるいは可愛い外見と戦闘能力のギャップに価値を見出すといったことが挙げられるでしょう。
注目すべきは、ここでそれぞれ対比されている要素が、伝統的には前者は女性に、後者は男性に求められてきたものであるということ。極端に言えば、マチスモな能力を愛くるしい外見で包んでいる彼女たちは「女性性と同時に男性性を有する」ということが出来るのではないでしょうか。
この、男性性を内包する女性に対して成人男性が「憧憬や愛好」を抱くことが、どのようなメカニズムで発生し拡大てきたかについての考察は、私にはなかなかハードルの高いものがあるのですが、いわゆるこのようなキャラクターの出現が1990年代以降に顕著にみられる動向であることを思うと、そこには80年代後半からの政策(85年の男女雇用機会均等法等)や経済情勢(バブル経済等)、そしてそれに続く「失われた10年」におけるジェンダー観の変化のなかで、男性が喪失した(ようにみえる)「男性性」の補填が、いわば「両性具有的な少女たちへの興味・愛好」というかたちで行なわれたのではないか、ということも想像されるのです。極端に言えばゼロ年代中盤以降に登場・拡大した「熾烈な競争のなかでポジションのために闘い続けるアイドルグループの少女たち」も、一種の「戦闘美少女」の類型に属するということが出来るのかもしれません。
「年端も行かない少女たちに闘いを強い(けしかけ)、それを商売とするとは何たることか」
あるいは、私の中の封建主義がそう言っている気もします。
もちろん「萌え系」アニメのなかには戦闘美少女系以外にも様々な類型がありますが、おそらく私がこれらのアニメと距離をもつことになった理由というのは、自らの青年期において実際に「男性」というものを精神的・物理的に知っていくうちに、流通するアニメに内在する「都合の良いジェンダー論」に対して違和感を覚えたからではないかと思います。
フィクションの世界に対して少しむきになって書いてしまった気がしますが…アニメファンの方、気分を悪くされたらごめんなさい。
この日は、北千住で会食ののち三菱一号館美術館の「
ルドンとその周辺-夢見る世紀末」へ。

ルドンの「グラン・ブーケ」は、一見美しい花の群れと見せて、みればみるほど魑魅魍魎感たっぷり。マックス・クリンガーの、「女性が落とした手袋を拾おうとする男」の妄想ストーリーを描いた版画の連作「手袋」はやっぱり面白い…結局は「夢オチ」ですが。
そして、この展覧会のチラシやポスターをはじめとする広報戦略は独特でしたね。
フォントサイズや書体の選択、写真、余白のバランス…デザインの常識をあえて避けているとしか思えない感じで、最初は、入札した業者さんが根本的に素人だったのかな?とも思ったのですが、三菱一号館美術館ならイメージ戦略にお金を惜しむはずもないと考え直し、個人的には「意図的な違和感でインパクトを残す作戦」という結論でいます。