カテゴリ:アート
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JP
2月26日。東京国立近代美術館で「生誕100年 ジャクソン・ポロック展」を見てきました。




ジャクソン・ポロックは抽象表現主義の画家のなかで最も有名で、伝説的な画家。
若い頃のアルコール依存症、床に置かれたカンヴァスに絵の具を滴り落とす作家のポートレイト、黒く変容していく画面、そして自動車を暴走させたことによる突然の事故死…

日本で始めての大規模な回顧展とういことで、会場には20歳前後の作品から、44歳で亡くなるまでの作品が展示されていました。門外不出といわれており、過去にアメリカで行なわれたポロックの大回顧展でも出品されなかった、テヘラン現代美術館に所蔵されている「インディアンレッドの地の壁画」も展示されていました。このあたりは、イランとアメリカそして日本をめぐる外交・貿易関係の実情が反映されているような気も。

初期の作品はメキシコ壁画運動のアーティストの作品を思わせるような骨太さがあり、そして常に暗さも付きまとっているという印象。やがて画面は抽象化の方向を辿ってゆき、1940年代の中期以降はドリッピングによる細い線が重なり合い、絡まり合うような画風を確立します。

このうちニューヨーク近代美術館の「ナンバー7,1950」は絵巻のような横長のプロポーションが特徴的な作品で、様々な楽器の音を表現した楽譜のようでもあり(白がハープで、黒がオーボエとか)、文字が書かれた呪符のようでもありました。ポロックの功績は「オールオーヴァー」な絵画を生み出したことともいわれますが、画面の縦横比を変えるだけで、こんなにも具体的なイメージ(それは音符や文字に変換できるようなもの)を思い出すような画面になるということが非常に興味深く感じました。

しかし、わずか数年後の51年にはその様式を大きく転換され、画面は黒く粘質を帯びた、より太い線に支配されるようになります。実際にこの時期の作家はアルコール依存症が再発し、精神的に不安的な日々を送っているのですが、それを知らずとも、この頃の作品は見ているこちらも心が穏やかではなくなってしまうようなものでした。

結局ポロックは模索の日々のなかで突然の死を迎えるわけですが、もしこの画家がもっと長生きをしていたらその作品はどうなっていたのだろうかと思います。晩年にその色彩はモノクロームに向かいましたが、それを突き詰めて、究極にオールオーヴァーな画面として筆致すら見えない無地の画面に至ることも考えられます。また、ドランのように古典主義や写実表現へと向かうということも考えられます。自由勝手な想像を広げればきりがありませんが、そこで思い浮かぶスタイルの多くはポロックの没後に展開した様々な運動に実際に現れていることにも気付きます。例えば、ミニマリズム、スーパーリアリズム。

でも、もっと勝手な想像をしてみるなら、もしかしたら他のジャンルに没頭するという展開もあるかも知れません…20世紀の天才と言われる人物を例に挙げるなら、デュシャンのチェス趣味や、ジョン・ケージのキノコ研究みたいに。


この日の夜は目黒の絵画教室「ルカ・ノーズ」で講義。



日本美術史の概説と、日本美術を楽しむためのポイントについて3時間ほどお話しました。
by paginademaiko | 2012-04-11 18:08 | アート


戦闘美少女
2月22日。

1月から2月にかけて続いていたハイプレッシャーな日々から一旦の開放。
朝のうちは若干ぼけーっとしていましたが、これではイカンと思い、この日初日の「文化庁メディア芸術祭」に行きました。





しかし、結局序盤で頭がフリーズしてしまったので、基本的に呆然としながら見学しました。そして「まどマギ」の展示室にヲタさんオーラむんむんの方々が結集していたのが印象に残りました。


自分も10代半ば頃までは、アニメやマンガが大好きで、アニメ雑誌の「アニメージュ」も毎月買っていたし、スクリーントーンを切り貼りしながらマンガを描くような時代もありました。でもいつの間にか興味を感じなくなってしまいました。それは年齢的なものもあるかもしれないし、所謂「萌え系」と呼ばれるアニメの興隆や享受層の拡大とも無関係ではないような気がします。

せっかくなのでここでアニメについても考えてみたいところですが、恥ずかしながら、現在の私は、瞳の大きな女の子がたくさん出てくるアニメについては、鑑賞方法がよく分からないというのが正直なところです。

以下に、かなり主観に満ちた文章が続きますが、自分は現役のアニメファンではなく、反論をされるとつらいものがありますのでどうかご容赦を。



まずは私の偏見から入ります。現在、大量に流通する少女系アニメというのは、プロットやキャラクター設定において享受者が好む「型(タイプ)」というものが存在し、これをうまく活用しているゆえにコマーシャリズムにおける一定程度の成功を獲得していると私は考えています。

たしかに、キャラクター設定における「型」は、能や歌舞伎においても見られ、むしろそれが鑑賞の一助となっているということが出来ます。あるいは、ヴィジュアルの継承という点では江戸狩野が行ってきた図像継承の方法論と比較することも可能でしょう。

しかしこんにちのアニメにおけるヴィジュアルについて考えると、(主に男性の)セクシュアルな視線に応えられる要素(例えば、過剰に大きな瞳、庇護を必要とする年齢を思わせ童形でありながら身体の一部がそれに比して成熟している、あるいは露出の度合いなど)がまるで護符のように備えられているという点で異なります。

一方、キャラクター設定についてですが、例えば「まどマギ」のように「戦闘美少女」と呼ばれる類型においては、彼女たちは様々なかたちで戦闘能力(魔法であったり機械操縦の能力であったり)を備えています。これをシンプルに分析すれば「美しさ」と「強さ」の双方を有することへの賛美、あるいは可愛い外見と戦闘能力のギャップに価値を見出すといったことが挙げられるでしょう。

注目すべきは、ここでそれぞれ対比されている要素が、伝統的には前者は女性に、後者は男性に求められてきたものであるということ。極端に言えば、マチスモな能力を愛くるしい外見で包んでいる彼女たちは「女性性と同時に男性性を有する」ということが出来るのではないでしょうか。

この、男性性を内包する女性に対して成人男性が「憧憬や愛好」を抱くことが、どのようなメカニズムで発生し拡大てきたかについての考察は、私にはなかなかハードルの高いものがあるのですが、いわゆるこのようなキャラクターの出現が1990年代以降に顕著にみられる動向であることを思うと、そこには80年代後半からの政策(85年の男女雇用機会均等法等)や経済情勢(バブル経済等)、そしてそれに続く「失われた10年」におけるジェンダー観の変化のなかで、男性が喪失した(ようにみえる)「男性性」の補填が、いわば「両性具有的な少女たちへの興味・愛好」というかたちで行なわれたのではないか、ということも想像されるのです。極端に言えばゼロ年代中盤以降に登場・拡大した「熾烈な競争のなかでポジションのために闘い続けるアイドルグループの少女たち」も、一種の「戦闘美少女」の類型に属するということが出来るのかもしれません。

「年端も行かない少女たちに闘いを強い(けしかけ)、それを商売とするとは何たることか」
あるいは、私の中の封建主義がそう言っている気もします。

もちろん「萌え系」アニメのなかには戦闘美少女系以外にも様々な類型がありますが、おそらく私がこれらのアニメと距離をもつことになった理由というのは、自らの青年期において実際に「男性」というものを精神的・物理的に知っていくうちに、流通するアニメに内在する「都合の良いジェンダー論」に対して違和感を覚えたからではないかと思います。


フィクションの世界に対して少しむきになって書いてしまった気がしますが…アニメファンの方、気分を悪くされたらごめんなさい。


この日は、北千住で会食ののち三菱一号館美術館の「ルドンとその周辺-夢見る世紀末」へ。




ルドンの「グラン・ブーケ」は、一見美しい花の群れと見せて、みればみるほど魑魅魍魎感たっぷり。マックス・クリンガーの、「女性が落とした手袋を拾おうとする男」の妄想ストーリーを描いた版画の連作「手袋」はやっぱり面白い…結局は「夢オチ」ですが。


そして、この展覧会のチラシやポスターをはじめとする広報戦略は独特でしたね。
フォントサイズや書体の選択、写真、余白のバランス…デザインの常識をあえて避けているとしか思えない感じで、最初は、入札した業者さんが根本的に素人だったのかな?とも思ったのですが、三菱一号館美術館ならイメージ戦略にお金を惜しむはずもないと考え直し、個人的には「意図的な違和感でインパクトを残す作戦」という結論でいます。


by paginademaiko | 2012-04-11 18:04 | アート


波の間に間に
2月21日。

この日は所用で府中方面へ行きましたが15時頃には終了。
京王線で初台まで向かいました。

初台といえばオペラシティー。
その中庭でいつも歌っている「彼」。



そしてここでの目的はオペラシティー・アート・ギャラリーで開催中の「難波田史男の15年」。



10代後半から、32歳で亡くなるまでの約15年の作品が、時代ごとに幾つかの章に区切られて展示されていました。
作品の多くは紙に水彩やインクで描かれ、カンディンスキーやパウル・クレー、そしてアール・ブリュットの絵画に共通するような、抽象や具象の間を揺らいでいるようなイメージが描かれています。様々な色が使われていますが、それらはどこか哀しそうな色。

これらの作品から私が連想した言葉は「浮遊感と寂しさ」でした。

その制作人生は短いものでしたが、残された作品の点数は多く、その仕事の豊かな広がりを感じることができました。しかし、やはり禁じえなかったのは、俗っぽい言い方をすれば「きっと暗い人だったんだろうなあ」という感想。もう少し上品に言い換えれば「内省的な人物」となるでしょうか。その最期がフェリーからの転落死、つまり青い海に消えていった、ということも、そんな印象を持たせる一助となっているかもしれません。

生涯の大部分で青年期であった、つまり夭折の作家の作品を思うときは、あわせて「生きた時代」にも目を向けなければならないと私は考えます。難波田史男の場合、その活動期が1960年代から70年代前半という、高度経済成長期にあたります。試みに、ハイテンションな社会を想像しながら難波田の作品を眺めていたら、「時代」と距離を持ち、ひたすらに自己について逡巡する人間の姿が浮かび上がってきました。


続いてICC。この日はあまり時間が無かったので、観覧料無料の「オープン・スペース2011」のみ観覧。久々の訪問でしたが、様々なタイプのメディアアートを見ることができ、楽しめました。



印象に残ったのは、ハワイの沖合いに設置されたブイで観測される波の状況がそのまま反映されるというグリッド状構造物による作品、デイヴィッド・ボウエン「テレプレゼント・ウォーター」。観測データはアメリカ海洋大気圏局が「公開」しているデータを利用したもので、「自然-(パブリックな)情報-造型」が層状になっている作品といえます。ただ、アートとしてのメッセージ性が少し弱い感じがしたので、若い作家さんなので、その点については今後の展開に期待したいところ。

展示室入り口には、床下に埋められた展示ケースに様々な資料を展示することにより、20世紀の文化史をクロノロジカルに紹介するコーナーがあります。常設なので、いつ行っても見ることができますが、毎回毎回、私の心をとらえてしまうのは、オスカ・シュレンマーがバレエの再現映像。そこでは、球や円錐といった、どう考えても動きづらそうな硬質な衣裳(?)を来たダンサーたちがチョコマカと動いています。20世紀初頭にフランスに登場したキュビスム絵画は、運動や時間といった要素を幾何学的図形をともないながら画面のなかに出現させましたが、シュレンマーは逆にダンスという元来運動や時間をともなう芸術に、幾何学的図形を持ち込んだといえます。

今シーズンの「オープン・スペース」の入り口には、メディアアーティストたちのインタビュー映像もあり、その中にはローリー・アンダーソンの姿もありました。この美術館で行なわれた彼女の展覧会は、私がいままで見たメディアアートの展覧会のなかでも、最も「もう一度見てみたい」もののひとつです。まさしく、パワーとしなやかな発想のお方で、その姿を映像で見るたびにわけもなく勇気付けられてしまいます。
by paginademaiko | 2012-04-02 20:02 | アート


色彩に至る
2月19日。

この日の前半、北関東の某都市で「頭からケムリ」モードであった私。

午後に時間が出来たので、帰京の途中で埼玉県立近代美術館に立ち寄り、「清水 晃・吉野辰海展」を見てきました。ともに埼玉に在住し、1960年代に現代美術作家としてデビューした作家による2人展です。




会場は前半が清水さん、後半が吉野さんのスペースとなっていました。

清水さんは地図や色盲検査表といった既存の平面イメージや、ポストや廃材を使ってフロッタージュやコラージュによる作品を制作。つねに2次元と3次元の間を漂いながら制作してきたという印象です。近年の仕事としては横長の紺色の支持体に様々な色や素材の断片がアッサンブラージュされた作品が展示されていました。

若き日にネオ・ダダに触れた吉野さんは、のちに幼い日の記憶の中にある「犬」をテーマにした作品を制作するようになります。やせ細ったその犬は様々なスケールやプロポーションで繰り返し表現されていきました。近年では、ゾウや犬といった動物の頭部を持つ少女像を天然色で制作。ヒンズー教の異形の神々と、21世紀的少女系フィギュアを思わせる、かなり卑俗な印象のものでした。

この2人の作家に共通するのは、若さゆえのニヒリズムを多分に含むストイシズムのなかから、やがて鮮やかな色彩への希求が力強く芽生え、そしていま面的な広がりを見せているということ。

そして、若い頃の作品と、現在の作品のどちらが「好み」かということが、見る人によってハッキリと分かれそう、という点でも共通しているかもしれません。
by paginademaiko | 2012-04-02 10:07 | アート


シダネルの野心
2月1日。
京浜東北線沿線でぶらぶらとお散歩。


家を出たのがお昼頃だったので、以前田端駅近くで見つけたタイ料理屋さんをめざして西日暮里駅から歩いてみました。

途中、鉄道グッヅのお店を発見。




そしてお目当てのタイ料理屋さんへ入店すると…

とてもフレンドリーなお店のマダムに熱烈歓迎されました。
「オジョウサンカワイイネ」と連呼され、激しくボディタッチされ…微笑みの国タイのホスピタリティは半端ではないことを実感。セットのお料理をいただきましたが、味は日本人好みにアレンジされているという印象でした。サラダバー、ドリンクもお替わり自由で、なかなか満足。

その後、田端駅から京浜東北線で北浦和まで移動し、埼玉県立近代美術館を訪れました。



なお、美術館のある北浦和公園には、先日まで六本木ヒルズに設置されいた黒川紀章のカプセルが設置されていました。ややデペイズマンな感じ。







時間に余裕があれば、別所沼公園の「ヒアシンスハウス」と合わせて見るのもよいかもしれません。


美術館では「アンリ・ル・シダネル展」を見ました。


シダネルは1862年生まれのフランスの画家で、同世代の画家としてはシニャック(1863年生まれ)やボナール(1867年生まれ)の名が挙げられます。

優しいタッチで庭園や郊外の美しい町並みを描いたその作品は、日本でも人気が高そうに思えますが、その作品を目にする機会は実は少なかったように思います。

展覧会で語られる、この作家の暮らしから察するに、芸術と庭に対する愛情はほぼ同格であり、どちらが欠けてもこの作家の姿はありえなかったのではないでしょうか。

作家が庭に対して示した愛情は、時に地域の姿を変えてしまうこともありました。アトリエを構えたジェルブロワという町では、作家が庭にたくさんのバラを植えたことで町の人々も各々の庭を美しい花で飾るようようになり、やがてこの町はバラの町として知られるようになります。住民のひとりひとりが「美しさ」について考え、行動した結果、コミュニティの姿が変わっていったというこの出来事は、こんにち様々な地域でその活性化を目的として企画されているアートプロジェクトを考える時、かぎりなく自然体に近い形で展開したムーブメントの先駆として特筆できのではないか、と思いました。

ただ、住民が庭を美しく整え、そこに人が集うことそれ自体をアートとみなすことは難しいという考えもあるかもしれません。しかし、シダネルという画家が庭の絵を描くということを通じて為そうとしたことについてもう少し考えてみると、それは「思想を、美を伴って具現化する」という、芸術家を芸術家たらしめる行いの延長に展開した出来事であることが見えてきます。

それをはっきり伝えてくれるのは、展覧会終盤に展示されていたヴェルサイユ宮殿の庭園をテーマにしたシリーズです。ここでは夜の噴水を描いた作品が数点ありましたが、その主役は噴水そのものではなく「人工」の水と「天」の光の「戯れ」だと私は思いました。

ヨーロッパにおいては「自然は征服すべき対象」という考えが伝統的にあり、ヴェルサイユ宮殿といったようなフランス式庭園についてはとりわけその思想を如実に表す例として知られています。それまでの人生において庭園という場を通じて人間と自然との幸福な関係を考え続けた作家が、その晩年においてヴェルサイユ宮殿をテーマとし、人工と自然が共につむぎ出した光景を描いたのは、その伝統的な自然観に挑もうとしたからではなかったからではなかと私は考えています。シダネルの絵は、一見するとやや耽美過ぎるようにも思えますが、私はこの展覧会を見て、シダネルという画家の本当の姿に、少し触れることができたような気がしました。


その後は、再び京浜東北線に乗って有楽町まで。
銀座で幾つかの個展をまわってこの日の散策は終了。
by paginademaiko | 2012-03-28 08:25 | アート


瀧口修造とマルセル・デュシャン、ちょっとだけ青春回想
1月29日。

千葉市美術館で「瀧口修造とマルセル・デュシャン」を見てきました。

この日の午前中、ハイプレッシャーのもと頭からケムリが出るような状況下に置かれていたわたくし。気分はミケランジェロの「最後の審判」に描かれるヌケガラ人間。「このまま瀧口&デュシャンワールドに突入したら展示室内で卒倒するに違いない!」と思ったため、アリナミンVを一気飲みしてから千葉に乗り込みました。

なお東京駅より合流した同行者は、午前中に国立西洋美術館で「ゴヤ」を見たとのことで、凄惨な版画集にあてられたせいか、こちらも少々グロッキーな状況。




そんな微妙なテンションで展示室に入ると…展覧会最終日ということもあり、会場には熱心に作品に見入るファンの姿が。結局、その異様な熱気に引きずられるようにして、約300点という出品作品を2時間半かけて休憩無しで見てしまいました。

デュシャンの作品については2004年に国立国際美術館で開催された「マルセル・デュシャンと20世紀美術」が私にとってはひとつのテキストのような存在になっていますが、この展覧会は、デュシャンと瀧口修造という評論家との交流を軸として展開しており、西洋と日本、制作と評論といったものが豊かに綾なしながら展覧会を構成している印象を受けました。

この展覧会で知り、嬉しく感じたのは、デュシャンと瀧口の邂逅の場が、サルバドール・ダリの邸宅であったということ。というのは、学生時代にひとり旅で訪れたことがある場所だから。ここは、自分が訪れた芸術家の家のなかでは最も遠方にあるところだと思います。

フィゲラスという町から路線バスに乗って、田舎町の停留所で下車してしばらく歩いていったところにある小さな集落・ポルト・リガットの入り江にある家は、まさしくダリの絵画に登場するような不思議な形をしていました。

あたりにいる人懐こい野良猫たちと遊んでいるうちに、つい泣き出してしまった失恋したばかりの私…というのは遠い青春の1頁。脚本に仕立てて、ペドロ・アルモドバルに送ったら読んでもらえるかな?


延々と続く作品を見終わったところに登場したのは「実験工房」を特集した所蔵品展示。山口勝弘のヴィトリーヌ・シリーズや北代省三のモビールシリーズといったキネティックな作品が、良い具合に頭と身体の緊張感を解き解してくれました。


若干ナチュラル・ハイな状況になりながら、帰途、船橋駅で途中下車して駅前の回転寿司に立ち寄り、目の前のベテラン職人さんを独り占めしつつ熱燗数本を空けて…

ヌケガラ人間は元通りのかたちに戻ったのでありました。
by paginademaiko | 2012-03-28 08:18 | アート


小さな洋館とドア手動エレベータ、神楽坂
1月28日。
この日は、元職場の先輩と、神楽坂を訪れました。

待ち合わせ場所は「アユミギャラリー」。
初めての訪問です。

都会の建物の中にひっそりと立つ、小さな小さな洋館。
かつては建築事務所として使われていた建物です。



こちらでは現代美術作家によるグループ展「Unknown Surface」を見ました。



出品作家の方と少々お話。



この日の神楽坂での用事はこれで終了、の予定でしたが、先輩の提案でもう一ヶ所寄り道。

訪れたのは「ミナト第3ビル」。印刷関係の古いビルですが、この中に3つの現代美術ギャラリーが入っています。



エレベーターはドアの開閉が手動で、ガシャン、と音を立てて乗り込めば、古いスパイ映画の中に紛れ込んでしまったような気分に。本当にこの先にギャラリーがあるの?と思いますが、その先にホワイトキューブが出現したときのサプライズと、ちょっとした安心感は、ちょっとクセになりそうな感じでした。

こちらでは、イムラアートギャラリー佐藤雅晴個展 ココちゃん)、MORI YU GALLERY TOKYOTHE FICTION INSIDE YOU 寺村利規 - Toshiki Teramura)、オオシマファインアート及川恵子 十方)を観覧。


神楽坂にはあまり足を運ぶ機会はありませんが、美味しいお店が多いと聞きます。今後オフ会やデートを企画する際は、ギャラリーはしご+食事というプランもなかなか良いのでは…と野望を持つのでありました。
by paginademaiko | 2012-03-28 07:42 | アート


Mon hakoné
1月14日。
久しぶりに箱根に行ってきました。

お目当てはポーラ美術館の「Léonard Foujita mon Paris, mon ateriler レオナール・フジタ 私のパリ、私のアトリエ 」です。

私の住む場所からいちばん近いターミナル駅である北千住からは、箱根湯本行きのロマンスカーが出ています。が、私の場合定期が東海道線の大船まで使えるので、お正月のもろもろの出費のあとということもあり、小田原までJRを利用して行くことにしました。

まずは東京駅を7:24に発車する185系使用の普通列車に乗りました。






小田原駅で東海道線を下車。
そして、朝ごはんに駅の「箱根そば」で「肉しょうがそば」をいただきました。しょうがが大好きなもので。




小田急のホーム。箱根湯本行きの列車までちょっと時間があったので、列車の写真を撮ってみました。




停車中の「さがみ」。



新幹線の高架下から次々に列車が登場します。




そして、小田原から普通列車で箱根湯本に向け出発。
しばらくすると、レールが3本になっているのに気が付きました。



添乗していた乗務員さんに尋ねたら、「標準軌」を走る箱根登山鉄道の車両が、「狭軌」である小田急の沿線にある入生田駅そばの車庫に乗り入れるために、一部区間が供用仕様の3本レールになっているとのこと。勉強になりました。

箱根湯本からは箱根登山鉄道に乗車。
乗り換え時間はタイトでしたが、運良く、乗務員室背後の席をリザーブ!

そして、その時に同行者によって激写された写真がこれ…自分でもびっくりするくらいの満面の笑みであります。鉄ちゃんということを否定できないレベルのニヤニヤ度。怖い。





途中には3回スイッチバックがあり、これを利用した行き違いも行なわれます。



こちらが、私が乗った列車。
イラスト入りのヘッドマークが可愛い。



箱根湯本行きのヘッドマークには、また別のイラストが。



強羅駅からは、バスに乗ってポーラ美術館まで向かいました。



開催中の展覧会「レオナール・フジタ 私のパリ、私のアトリエ」では、2011年に同館のコレクションに加わった100点あまりのフジタの作品を中心に、フランスにおいて制作された作品が紹介されていました。

会場の序盤では、パリで交わったエコール・ド・パリの作家の作品とあわせ、フジタがパリで独自の画風に至るまでの軌跡が紹介され、続いて、フジタ特有の「白」の秘密に迫った研究の成果も発表されていました。そして会場の中盤以降は、戦中を日本で過ごした作家がフランスに戻ってから制作した、主に子どもをモチーフとした「小さな職人たち」シリーズのような小品が数多く展示されていました。

子どもたちが様々な上人に扮したシリーズはとても可愛らしかったのですが、できれば作家の名声を確実なものとした「白い肌」の魅力がが前面に出ている裸婦の作品ももう少し見てみたかったというのが正直なところ。しかし、展示の一部が借用作品であるとはいえ、これだけのフジタ作品を所蔵しているというのはすごいことだと思いました。

美術館でランチののち、せっかく箱根まできたので、強羅で日帰り入浴をすることにしました。

駅前の観光案内所で紹介されたのは駅から徒歩5分ほどのところにある国民宿舎「太陽山荘」。



建物自体が登録有形文化財になっている、風情のある温泉宿です。浴場は「離れ」になっていて、日帰り入浴客にも使い勝手のよいつくりになっていました。


帰りも強羅駅から登山鉄道で箱根湯本まで戻り、小田原からJRで帰京。



箱根に行ったのは4年振りくらいでしたが、私にはとてもいい思い出のある場所で、それまでは年に一度くらいは行っていました。今回は震災の影響か、以前は多く見られた外国人観光客の姿がほとんどありませんでしたが、また賑やかになってくれたらいいなと思います。
by paginademaiko | 2012-03-26 17:33 | アート


乗り物・曼荼羅・モンパルナス
1月9日。


川崎と板橋のミュージアムをまわりました。

1ヶ所目。
東急宮崎台隣接の「電車とバスの博物館」。初めての訪問です。

模型ジオラマや実物の車両の展示、体験コーナーなどがありました。
子どもたちにもちょうどよいスケールという印象。

かつての東急の車両には、ずいぶんと可愛いものがあったのですね。



ドアの開け閉めや車内放送が体験できる車両もありました。







続いて向かったのは、川崎市岡本太郎美術館


向ヶ丘遊園駅で下車したら、ホームのメロディーが「はじめてのチュウ」になっていました。ここを最寄り駅とする「川崎市 藤子・F・不二雄ミュージアム」のオープンに合わせてでしょうか。


生田緑地の中を進み、美術館に近づくと神秘的な木立が現れます。
葉が茂っている夏は特に薄暗く、象徴主義の画家やマグリットが好みそうな風景だなと思います。



この日最終日を迎える展覧会「芸術と科学の婚姻 虚舟 (うつろぶね)」は3つの柱から構成されていました。



ひとつは細江英公と篠﨑 崇が大野一雄、岡本太郎、澁澤龍彦、土方 巽、三島由紀夫といった昭和の鬼才にささげたオマージュのシリーズ、ひとつは9人の現代美術作家による作品、そしてもうひとつは国立天文台、東京大学数物連携宇宙研究機構、理化学研究所による「宇宙」「脳」「細胞」に関する研究をベースとした展示です。

これらは展示室や壁によって隔てられることなく、大きな展示室にまとめて展示されており、その配置は展示室の中心から放射線状に展開し、そこに曼荼羅のような眺めを生み出していました。

作品は全体的に色彩や表現の点において灰汁の強いものが多かったのですが、(全裸でフルートを吹きながら駅前を失踪する男の映像とか)、そんななかで唯一静謐な存在感を放っていたのは藤本由紀夫氏の作品。神戸ビエンナーレ2009で氏の作品を見たときにも感じたけれど、様々な作品と同じ展示室の中においてあっても、確固としたテリトリーをもち、その侵食を許さない強さのある作品だと思いました。


この日最後に訪問したのは板橋区立美術館の「池袋モンパルナス展」。



戦前に池袋の郊外で形成された芸術家コロニーに関する展覧会です。
こちらも最終日で、会場は多くのお客さんでにぎわっていました。

会場には関係作家による代表作が数多く展示され、見覚えのある作品が多いという印象でしたが、会場にはアトリエの間取りを実物大で再現した展示もありました。


バス停のところにはこんなバナーが立っていました。



ここには、このように愛嬌のあるコピーがいつも掲げられいます。
美術館のスタッフの人柄が現れているなあと思います。

愛嬌て大事です。本当に。



by paginademaiko | 2012-03-26 17:20 | アート


近鉄湯ノ山線で行くパラミタミュージアム
この冬の青春18きっぷ旅、第2弾の2日目。

この日の午前中の目的地は、三重県にある美術館「パラミタミュージアム」です。

朝ごはんは名古屋駅のホームのきしめん。



そして初めて関西本線に乗り、桑名まで。
大きな川を越えると、不思議と旅の気分も盛り上がっていきます。





桑名からは近鉄に乗り換えて四日市で下車しました。
ここから近鉄湯ノ山線で美術館最寄り駅に向かいます。



この路線の終点の先にある湯ノ山温泉は、恋結びの伝説がある温泉とのことで、車両には折鶴のイラストがあしらわれた、ピンクのかわいいヘッドマークが付いていました。



下車したのは、大羽根園という駅。
あたりには雪が残っていました。



美術館は駅から徒歩10分ほど。
こちらでは、「飛鳥園仏像写真展」を見ました。



この美術館では、その代表的なコレクションとして池田満寿夫の陶による般若心経にスポットをあてられることが多いようです。しかし、私が以前より見たいと思っていたのは、この美術館が開館したときに雑誌に紹介された際に掲載されていた、小嶋三郎一の静物画です。

この画家について、実は私は詳しいことをよく知らないまま来てしまったのですが、その展示室には、彫刻家山口牧生の希望によりその彫刻作品が展示されていました。

山口牧生は1927年生まれの彫刻家ですが、実は私にとって大学院の研究室(ちなみに実技系ではない)の大先輩でもあります。現在の職場でもデスク脇の窓からはこの彫刻が見え、見守ってくれているような気持ちでいます。ですから、初めて訪れたこの展示室で出会ったことには、少しご縁のようなものを感じました。


美術館訪問後、旅の目的は鉄道活動へとシフト。
まずは徒歩で最寄の近鉄湯ノ山線の大羽根園駅まで戻り、この路線の終点、湯ノ山温泉駅まで行きました。



「湯ノ山温泉駅」といっても、ここから温泉までは実際はかなり距離があるらしく、駅前からは温泉行きのバスが発着していました。

出た!関西名物「飛び出し坊や」!
これはキャラクター系のタイプですね。



首から血が出ているように見えるのは私だけでしょうか、左手も青くなっているし…心配です。

ラブラブさん向け「顔出しパネル」。



先ほど乗ってきたラッピング電車で四日市に向かいます。
前面に描かれている不思議なキャラクターのポーズをまねて、レッツゴー!!


by paginademaiko | 2012-03-23 14:16 | アート

    

アート(たまに鉄道)に関する日々をつづるブログ。 Copyright (c) 2005-11 YAMAUCHI Maiko All rights reserved.
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