カテゴリ:ヴェネツィア2009( 16 )

イタリア最終日。とにかくヴァチカン美術館。

ですが、サンピエトロ広場に近づくと、なぜか大観衆。加えて修道士・シスター、そして制服姿の方々による厳重警備。なんだか大きなイベントがありそうと思い、近くにいる方にたずねると、なんとローマ教皇が登場するらしい。聴衆おのおの方、自国の旗をはためかせ、なかには三日月と星の旗も。

やがて白い乗り物で教皇が登場しました。白い法衣、帽子の下からのぞく頭髪も真っ白でとにかく全体的に真っ白。乗り物は聴衆の間を移動し最後に壇上へ。短いお話のあと「アーメン」。続いて、黒衣の聖職者が壇上からイタリア語で法話。続いて、フランス語、英語、ドイツ語、スペイン語…で同様の内容が繰り返されました。



いわゆる「ヴァチカン美術館」は、出入口は地味ですが、その内部は27の美術館・博物館から成る巨大なミュージアム・コンプレックス。

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作品数の多さはもちろんなのですが、ルーヴルやプラドとはまた違った空間構成に驚きました。大きな部屋や回廊があったかと思うと迷路みたいな通路があったり、突然中庭が現れたり、野外か屋内かよくわからない場所があったり。そして基本的にどこも人がたくさん。「アテネの学堂」の部屋の混雑度は乗車率150パーセントの満員電車に等しい。

いちばん長い時間を過ごしたのは「絵画館(ピナコテカ)」。バロックあたりのドラマチックな絵画を中心に楽しみました。現代宗教画のスペースも、日本人をふくむ意外な作家の作品が収められていました。ここには聖クリストフォロスを描いた不思議な絵が1点ありました。クリストフォロスはたいていキリストを背負って川を渡るという状況で描かれる聖人なのですが、ここで彼が背負っているのは、直立して右手を上に上げ、左手を下に下げている幼児。このポーズは…「天上天下唯我独尊」?そういえばクリストフォロスの顔も「アレッ人違い?!」という感じがなきにしもあらず。

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ところで、ヴァチカン周辺ではアフリカ系の若者が観光客を相手にかなり強引に物品販売をしていたのですが、それを見て私は、前日アカデミア美術館で見た「神殿から商人を追い払うイエス」を思い出さずにはいられませんでした。

夕方、帰国のため空港へ。が、乗る便が4時間近く遅れるとの情報。
チェックイン後、航空会社から案内された食堂で夕食をとっていると、美しい夕日が見えました。

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夜12時頃離陸。翌日午後、北京の空港では、地上スタッフさんの誘導でダッシュで乗り継ぎ。無事成田行きに乗れ、気持ちも落ち着きビールを飲んでいるうちに到着。

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飛行機から降りると、係員の方が私の名前を呼んでいました。
「お客様のお荷物の積み替えが間に合わず、まだ北京に…」。
ヴェネツィア3日目。
お昼には列車で離れてしまうため、それまでの間に見たいところを回りました。
主な目的地は「アカデミア美術館」。

美術館に訪れる前に、近隣の島を経由する水上バス路線にも乗ってみました。ただし、時間がないので下船はせず。
ヴェネツィア本島の近くには、サン・ミケーレ島とムラーノ島があり、前者は墓地のための島として、後者はガラス製造の島として知られています。

サン・ミケーレ島では、花を持っている人が多く降りてゆきました。お墓に備えるのでしょう。
ところで、ヴェネツィア本島のうち、この島の対岸にあたる地区では、墓石を扱うお店や花屋さんを見かけました。このうち花屋さんについては、生花とあわせ造花も多く扱っているようでした。

ここで私は、かつて蜷川実花さんが「永遠の花」シリーズを発表されたときのコメントを思い出しました。それによると「メキシコ、グアム、サイパンなど日射しの強い南の国では墓地に造花を手向ける習慣がある」とのことなのですが、この地でも造花を手向けるというのが一般的に行われてるようです。あるいは、その理由は、気候によるものではなく、海上の都市という性格上、生花が非常に贅沢なものとして認識されてきたからかもしれません。


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船を下りて、アカデミア美術館へ。現在改築中ですが見学は可能。
こちらの作品で、最も有名なのはおそらくジョルジョーネの「テンペスタ」でしょう。
普請中のパリケードにもこの作品がプリントされていました。

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アカデミア美術館は古めの作品から始まり、やがてヴェネツィア派の作品が登場。
ティントレットがアダムとイヴを描いた作品は、果実を食べる瞬間を中心に描きつつも、遠景には楽園を追放される二人の姿。異時同図法です。
ヴェロネーゼの「受胎告知」では、マリアの様子が…当世風の言葉でいうなら「どんびき」。
ティエポロの中に描かれる女性はいつも優しそうだと思います。ティエポロのお気に入りのモデルがそういうお顔だったのでしょうか。
ヴェネツィア周辺の作家のなかではベリーニがいちばん好き。

「テンペスタ」は、思っていたよりも小さな印象。たしかに、この美術館に山ほどある明朗な場面設定の作品に比べるだけでもその謎めきは群を抜いています。

キリスト教絵画の主題のひとつに、「神殿から商人を追い払うイエス」があります。これはキリストが、神殿のまわりで商売をしている人々をみて「神聖な場所で商売をするとは何事か」と商人たちを追い払い屋台を破壊するという場面です(ルーヴル美術館には、ヨルダーンスの作品があります  )。
このような主題があることを知ったとき私は、キリストがそんな乱暴なことをするとは、と少々驚きましたが、このアカデミア美術館で初めてこの主題による作品を見ることができました。残念ながら作者名は失念してしまったのですが…。


列車の時刻が近づいてきたので、真っ赤なゼラニウムが見事なテラスで昼食を食べました。
ワインのラベルにはデューラーの銅版画。

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赤いユーロスターでローマへ、おやつにサクランボとオレンジ。
そして再びHotel andreottiにチェックイン、夕飯は中華料理。


つづく
ヴェネツィア訪れた展覧会”Mapping the Studio”は2会場で展開。まずは プンタ・デッラ・ドガーナPunta della Doganaを見て、のちにもうひとつの会場パラツィオ・グラッシPalazzo Grassiへ向かいました。

水上バスに乗り、アカデミア美術館の前で下船したところ、ヴェネツィア・ビエンナーレの関連イベントであるGrass Stressの会場が現れたので寄り道。ここは研究機関の建物を利用しています。

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この企画がガラスを使った作品によるグループ展が行われていることは事前に知っていたのですが、特に訪問を予定したわけではありませんでした。ですが、実際に見てみると、作品、展示方法がとても素晴らしく、これはかなり嬉しい出会いになりました。


デュシャン「大ガラス」の中に登場するロウトを引用したリチャード・ハミルトンの作品は「小ガラス」と呼ぶべき?「反復」大好きアルマンの電球を使った作品、トニー・クラッグによる小さく丸っこいパラボラアンテナ、などもたいへん魅力的。

ですが、なによりも私が気に入ったのはMona Hatoumの”Nature Morte aux Grenades” 。
ストレッチャーもしくは調理台を思わせる台のうえに、色とりどりのガラスの塊がゴロゴロしています。豊かな色彩からそれは一見フルーツのようにも見えますが、近づいてみると形はむしろ手榴弾に近い。フランス語のタイトルを訳すとおそらく“ざくろのある静物”のようになるのだと思いますが、「静物」にあたるNature Morte は直訳すると「死せる自然」、ザクロにあたるGrenade は「手榴弾」を表現するのにも使われる言葉ですから、少なからずこの作品には戦争による死のイメージも含まれているのでしょう。
そうすると、それを載せる台についても意味深さが感じられてきます。

その後、市中にあるイラン、ルクセンブルグのパヴィリオンに立ち寄り、そしてPalazzo Grassiへ。
こちらはポップな感じの作品多し。日本人では村上隆さんの作品がありましたが…。


徒歩で再びサンマルコ広場へ。この日の晩酌はカフェフロリアンでビール。
このカフェの夏の風物詩は楽団による演奏。
東欧系とみられる佳人が奏でる情熱的なヴァイオリンにしばし旅情にひたりつつも、その曲目がタンゴに変わった瞬間、脳裏に赤鬼と青鬼が登場。おそるべし「みんなのうた」の洗脳。

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つづく
ヴェネツィア・ビエンナーレのジャルディーニ会場を後にし、水上バスで数分。
サルーテ寺院の前で下船しました。

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ヴェネツィアのシンボルのひとつであるこの寺院の隣には、ピノー財団による現代美術のミュージアム、プンタ・デッラ・ドガーナPunta della Dogana があります。建物は17世紀に建てられた税関の施設を安藤忠雄がリノベーションしたもので、実はこの2日前にオープンしたばかり。

真上から見ると海に突き出すような三角形をなす建物の内部は、並行に区切られていて、元の建物の形をそのまま活かしたつくり。
開催中の展覧会は”Mapping the Studio”。 パラツィオ・グラッシPalazzo Grassiという別の建物と併せて2部構成となっており、計60人のアーティストの作品約200点が展示されています。

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世界中の舶来品が集められた税関跡で、各国の作品を見るための通行手形は15ユーロ也。
(Palazzo Grassiとの共通権は20ユーロ)

つづく
初めて訪れたヴェネツィア・ビエンナーレで私が強く感じたことは、「アート」が「場」とともにあること、そしてそれにおける「場」の復権、みたいなことでした。

例えば、海上に出現した都市の心臓部ともいえる「造船所」で作品を見ていると、自分自身がその「場」に大きく刺激されながら作品と接していることに気が付きました。いいかえれば、ホワイトキューブのなかで同じ作品を見たのでは得られないような豊かな解釈や感想が出てくる、といったような感覚。

もちろん、企画者側が「場と作品」について意識しているのは多かれ少なかれ確かなことで、鑑賞者はそのキュレーションによってしつらえられたフィルターをとおして作品に接していることは間違いないのですが…。

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ところで、造形芸術は、古くは特定の場やその機能のために生み出され、しかも多くは「動産」ではなく「不動産」であったわけですが、時代が下るにつれて、その性格はどんどんと失われていきました。

歴史的に強い磁場をもった場所に様々な国のアーティストの作品が設置され、そこに世界中から鑑賞者が集う。作品と場が切り離されて考えることが当たり前になった現代において、「場」がプライオリティーをもち作品や人を包み込む、それはかつての美術があたりまえに備えていたことへの、(テンポラリーなものであれ)復権であるように、私は感じました。

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何百年もまえからこの都市の港には世界中の人々が交易のために集まっていたことを思うと、100年以上にビエンナーレという一大イベントが誕生し、今日まで続いていることはこの街だからこそ、というような気がしてきます。




つづく
ジャルディーニ内の国別パヴィリオンを8割がた見たところで、Palazzo delle Esposizioni という建物の中へ。こちらは様々な国の作家によるグループ展形式の会場となっています。
会場の入り口から騒々しいベルの音、近づいてみると田中敦子の作品でした。つづいてオノ・ヨーコ、まもなく「具体」が登場するなど日本人作家が続きます。

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この建物の中だけでも40名近い作家の作品が出品されていたのでかなりのボリュームでしたが、最も私が素晴らしいと感じたのは、Simon Starlin の作品。ひとめぼれでした。
この作品を構成するのはフィルムを使った「映写機」とそれが映し出す「映像」。そしてその映写機の姿や機能が、非常に、非常に魅惑的なのです。

つくりを言葉で説明するのはとてもむずかしいのですが、フィルムが上下につづら折を繰り返すことによって生まれる垂直の帯が、端から徐々にレヴェルを下げながら円を描くといった様子。それは遠くから見ると螺旋階段のようなシルエットです。かつ、螺旋階段の最も下のレヴェルまで至ったフィルムは一気に最も上のレヴェルまで引き上げられ再び螺旋階段を下降していくので、映像は自動的にループ再生となります。

一方、それにより投影されるモノクロ映像の内容は、この不思議なマシーンに関するドキュメント。マシーンと映像の相思相愛というか、あるいはひとつの主体によるナルシズムな行いというべきか。
プロジェクターによる投影が全盛期の今、フィルムを使っていることには素直に好感を覚えました。懐古的な雰囲気があるということだけでなく、ツヤと透明感、張りのあるそれは素材としてもとても美しいものだと思いました。

ちなみに、カタログではこの装置を”The elegant kinetic sculpture”と表現していました。


Palazzo delle Esposizioni を出て、残る国別パヴィリオンへ。オランダ、ベルギー、スペイン。オランダのFiona Tanの映像はかなり大きなものでしたが、ゆっくりとした動き、しっとりとした風合いで、映像の美しさという点で格別。

縦長画面の作品もありましたが、やはり人間の黒目は横に動くものですから、縦長の映像というのは見やすさという点で横長に劣るような気も…。最近は様々な作家による縦長の映像作品を目にすることも増えましたが、認識能力を考えながらコンテンツを考えることも大切ではないかと思います…縦長の映像作品はまだ実験段階というべきでしょう。

つづく
ヴェネツィア・ビエンナーレ訪問2日目。
ジャルディーニ会場を中心にレポートします。

この会場の入り口で目立っているのは、Chen Zhenの地球。この作家さんからは、国立新美術館の「異邦人たちのパリ」で強いインパクトを受けたことがあり、それ以来。

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パヴィリオン訪問は、ゲートより正面に向かって右側から。
スイス。明るい展示室に地の部分が多いドローイングなど。あっさり。
ベネスエラはグループ展形式。そのうち特に注目した作家は、世界地図を題材としたシリーズを手がけるDaniel Medina。今回のビエンナーレのテーマ「Making Words」にふさわしく、かつ机上の手仕事を思わせる、手のひらと世界をつなぐような作品。

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ロシア館の内部もまた部屋ごとに異なる作家の作品。いずれも暗い部屋の中で光が効果的に使用されていました。
美しかったのは、部屋の中央に無数の透明球が吊り下げられ、そのひとつひとつに様々な人のポートレートが貼り付けられた作品。人間というものは大河の一滴だと感じさせる。

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このパヴィリオンの内部は、なんとなく怖い感じの作品が多い印象。とくに強烈だったのは、「サモトラケのニケ」を模ったような透明の像の内部で、どす黒い液体が間欠泉のように噴出している作品。よくよく考えてみると人間の身体の状態に近い状況なのかもしれませんがどこか不自然、液体の粘性の強さのせいでしょうか。そのほか四面の壁に大衆の顔がプロジェクションされている作品も…ぎっしりとした感じがアンソールの絵画に通じる不気味さ。大喝采の音声付きで、部屋の真ん中に立つとかなり怖い。



ロシア館の向かい側には北欧の国によるパヴィリオン。
一見、お洒落な家具のショウルームに見えますが、ところが…。
入り口のプールには死体、内部にはパンツの標本(?)、さらに奥には卑猥なイラストコレクション。挑発的です。

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一方、ロシア館の左隣には黒い布が被せられた日本館。
やなぎみわさんの作品は重たい躍動感。縄文式土器で殴打されるような感覚を覚える。
日本館の裏手には韓国館。建物は軽やかなつくり。インスタレーション向きの空間。

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堂々たるドイツ館。
内部には白木で作られた物体が並びます。家具かミニマルアートか、どちらかといえば完全に前者なのですが…。特別きれいとか、面白いというわけではないのですが、空間や外光との関係をみてみると、慣れている感じがしてスッとこころに心地よい。アクセントとしての猫の存在も。

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カナダ館の小さな建物は、木々を抱え込んで、まるで森の中にいるようなつくり。
数点の映像作品が展示されていましたが、そのうちつい見入ってしまったのは「数人の男女が、ふた手にわかれて延々とけんかをし続ける」というもの。
なにが一体原因なのだろう?とはじめは思いますが、すぐにそんなことはどうでもよくなるくらい面白い作品です。

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フランス館。鉄格子に囲まれた空間の奥、暗闇のなかで黒い旗がなびいています。
これを見て歴史文学や歴史画を思い出す人も多いでしょう。私はドラクロアあたりを。


続いて、チェコ、スロバキア、オーストラリア、ウルグアイ、アメリカ。
そしてアメリカ館の隣にはイスラエル館。子どもが描いたようなペインティングが空間によく似合っていると思ったら、天窓がキャンヴァスと同じく正方形で、そこから床に落ちる日なたのかたちも正方形。まるでそれぞれが呼応しているようでした。

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昼食にパニーニ。
そして、運河一本隔てた敷地へ。

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ここではブラジル、ギリシャ、ルーマニアに続き、ポーランド館を訪問。
内部の壁面には、アーチ型の窓のようなものが並びます。これは投影によって表されているもの。向こう側を人間のシルエットが往来しています。やがて天候が変化する様子が音で示され、それにあわせて窓の向こうの影も様々な動きをはじめます。気が付くと、限られた情報から向こうの世界を探ろうとするこころみが自然と自分のなかで始まっていました。
見た目の印象深さ、音や光の使い方、想像・思考を招く、といった点でいずれも秀逸でした。このビエンナーレのなかで、国別展示のなかで最も良かったものは?と聞かれたら、わたしはポーランドを挙げます。


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その後、ヴェネチア、そしてエジプト、セルビア、オーストリアのパヴィリオンへ。


つづく
ヴェネツィアの朝。
朝食前に、水上バスでサンマルコ広場まで。

朝日に輝く運河は、まさしくクロード・ロランの絵画。

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アカデミア橋にもビエンナーレのバナーが。
この橋の右側にアカデミア美術館があります。

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安藤忠雄がリノベーションしたプンタ・デッラ・ドガーナを右手に見ていると、まもなく左手にサンマルコ寺院の塔。下船して、サンマルコ広場を歩きます。

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ホテルへの帰路は徒歩です。迷路みたいな道を、直感を頼りに。
ヴェネツィアでは自動車が使えないため、様々なものを人力で輸送します。おそらく人通りの少ない朝のうちに済ますことも多いのでしょう。
観光客の少ない朝の時間の散歩は、そこに暮らしている人々の生活感を感じるのにとてもよい。

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一方でビエンナーレ関係の看板やパビリオンもあちこちで見られました。

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途中黄色いオブジェを発見、その側にあるコンテナーは似た色ですが、単にごみ回収用のもので、直接の関係はないものと思われます。

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朝市が出ていたので、バナナを買いました。

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つづく
ヴェネツィア・ビエンナーレ訪問第1日目。
アルセナーレの建物を出たのは5時半過ぎ。
対岸でも関連イベントが行われているので、シャトルボート乗り場へと向かいました。

その途中でノウゼンカズラを見つけました、日本のものよりも赤色が強い。
イタリアではオレンジも赤みが強いものが多いけれど、同じような理由なのでしょうか?

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浮遊式楽団も発見。

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対岸には、Jan Fabreの展示「From the Feet to the Brain」など、大型の展示がいくつもありました。
閉館時間を過ぎていたのでスタッフに追い立てられながら一巡。興味深い作品も多かったのですが、あまりにも急いでいたので作家を同定できず、残念。

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最後は建物は裏口みたいなところから出され、よくわからないデッキを歩いてなんとか水上バス乗り場へたどり着き、この日の行程修了。

本島の北側を反時計回りに進んでいると、一艘のブルジョワジイなクルーザーを発見。
キャビンの屋根の上には、でっぷりとしたおじさま、ぽっちゃりとしたおばさま方が水着姿でくつろぎ、真っ赤に日焼けした体を海風にさらしています。
その様子に、つい私は宝船に乗った七福神を連想してしまいました。縁起良し。

宿に戻ったのは夜7時近く、ですが夏の南欧は日が長くまだ日没の気配は遠い。
夕食の選択肢として運河沿いのレストランのテラス席も悪くはないですが、にぎやかな雰囲気のなかで女一人ワインを…というのはさすがにちと寂しい感じが。
結局、落ち着いた面構えで、中庭の垣根の向こうに運河が見えるトラットリアを選びました。


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冷えた白ワインに、「マグロのカルパッチョメロン添え」を楽しんでおりますと…。
白髪まじりのおじさんがお一人でお店に入ってきて、スタッフとなにか交渉中、どうやら、運河がよく見える「よい席」を希望しているよう。スタッフは「4人以上ではないとダメ」おじさんは「そこをなんとか」とかなり一生懸命な様子。
結局、交渉実らずしぶしぶ他のテーブルについておじさんですが、とても残念そう。
その理由が解けたのは約10分後。
ここで待ち合わせをしていたのでしょう、美しい女性が現れました。

お店を出る頃には、ようやく街も夕闇に包まれ…。
やはりヴェネツィアには男性と来るべきと。

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つづく
アルセナーレ会場の作品を見た全体的な感想は、色や形そして素材が過多でなくそれでいて美しさがしっかりと感じられる作品が多いということ。

ここで少しだけ紹介してみたいと思います。
(サブエントランスから入場したため、作品のエントリー番号をカウントダウンするかたちでまわっています)

チリのIvan Navarroの作品。ネオンで奥行きが表現された様々な色の扉がレインボーカラー順に並び、その手前に自転車一台。物語が生まれそう。

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Luis Roldan の作品。ビニールテープを短くちぎったものを張り連ねた、かずら。

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パンを込めた棚。これはとにかく見た目が気に入りました。
(残念なことに手元の資料からは作家名を同定できず)

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食べ物がたくさん集められている状況には、豊かさとともに、コミカルな雰囲気を感じることがあります。
私は高校生のときに中華まん工場でアルバイトをしたことがありますが、作業台の上を埋めつくす数百個の白い半球体や、冷蔵庫のなかに眠る数万個のそれを見ると、なんだか「不思議な滑稽さ」に近いものを感じたものです。それはおそらく、中華まんが持つ単純な形や肌のやわらかさがチャーミングであり、そしてそれが過剰に存在することによって非日常的な眺めが出現していること、これが数日間で食べつくされることへのすこし恐ろしい感じ、等に由来するものなのかもしれません(ただしパッケージされるとこの感じは減じます)。
食べ物が過剰に密集することによって生まれる「不思議な滑稽さ」、工場ではなく展示のためのスペースで、スポットライトを浴びることによって、それはさらにはっきりとしたものになるのでしょう。この作品に私が惹かれた理由は、そんなところにあるのかもしれません。

Chu Yun の作品。
暗闇の中、人間の目線より下のレヴェルに、星のようにともる小さな光の数々。
空間の暗さに目が慣れはじめると、そこには家電製品が並び、星の正体は主電源がONに成っていることを知らせる光だとわかります。
思えば、この作品を見ている人々のそれぞれの家でも、静かに彼らは光を放っているのです。主が帰宅する前、就寝したあと、そしてその光が認識できなくなるような日中の時間帯も…なんてけなげなのでしょう。
見た目の美しさと、その正体がもつ生活感を静かに一体化した作品であるとともに、一方「不必要な主電源はちゃんと消そう」とにわかに節電精神を喚起させる作品。


浮遊するステッキ、Richard Wentwothの作品。
ダークスーツの紳士たちが空中に浮かぶマグリットの絵画を思い出しました。
これらのステッキはまるで彼らの忘れ物のよう。

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Ceal Floyerによる”Bonsai”の巨大な投影画像。盆栽というのは本来、巨木、古木がもつオーラを掌中に包み込めるようなスケールで再現する「小さな自然」なのですが、この作品ではそれを再び大木スケールに引き伸ばして表現しています。手前に吊るされたHéctor Zamora のミニ飛行船と併せて見ると、なお巨大に。ただし盆栽というには枝葉はミッチリ。いろいろな意味で反骨的ですが、様々な作品を見て疲れた目にはありがたい緑の作品。

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Sunil Gawdeの作品は、機械仕掛けによる月の満ち欠け?それもたくさんの月。地球には月がひとつしかないけれど、惑星によっては月がいくつもあるから、これはどこか違う星からの眺めかもしれない。裏面はどこか懐古的な趣。

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Pistretto、ここでも割ってます(昨年横浜でも割ってました)。

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無数の金の糸が並行に走ることによって現れた柱が暗闇のなかで交差するLygis Pape の作品は、東京都現代美術館の「ネオ・トロピカリア」で見て以来2回目。見るものに緊張感を強いるような繊細な作品です。
今回もやはり、雲間から差し込む太陽光線を指す言葉「angel's ladder」を思い出しました。
しかしその場合、この作品の頭上には太陽が幾つもあることになります。
Sunil Gawdeの作品と同様、地球ではないところの眺めか。

つづく
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