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春分の日も過ぎた月曜、強風のなかを着物でお出かけ。

花をモチーフとした紋様の着物や帯は、その季節をすこし先取りしつつ、実際の花が咲く時期になっても着ていますが、ただし、桜は別。
それが咲く時期には、景色も、人の心も、多かれ少なかれその美しさに染められてしまうので、あえてそこに自ら桜の紋様をまとうことはなかろう、と…。

その日は、ほとんどの桜はまだ蕾の状態。そこで桜づくしのコーディネイト。
茶色地に染井吉野紋様の着物、そして八重桜の刺繍が満開の帯を。

この「八重桜の帯」は鮮やかな赤色。
着物の世界での「赤」は、若い女性(おそらく「娘さん」と形容されるような)だけが許される色というイメージ。年齢的に私はもうギリギリな感じがしなくもないのですが、一年のうち、桜の時期のこの時期だけ、締めさせていただいています。

昼食のあと、銀座でギャラリーまわり。
久々に、「メゾン・エルメス」にも訪れました。
開催されていたのは、「ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー展」。
会場では、数十個のスタンド型スピーカーが、壁に沿いながらそれぞれ会場の中心にむかって並べられ、そのひとつひとつからは、それぞれ別の人の歌声が流され、作品全体でひとつの合唱曲を構成しています。
鑑賞者の耳には、会場の中央に立つと、有る程度調和の取れた合唱が入ってきますが、スピーカーに囲まれた空間をジグザグにあるいたり、スピーカーに沿って会場を一周すると、いろいろな人の声が、次々と強くなっては弱まり、まるで歌い手の間をぬって歩くコンダクターになったような気分にさせられます。
しかもスピーカーの向こうの声の主はどれも一生懸命歌っていて、それがまた、すがすがしい。
眼を閉じて歩いてみるのもおすすめです(スピーカーにぶつからないよう、気をつけて!)。


その後、松屋銀座の「中原淳一展」へ。
中原淳一の描く女性は、凛々しい、という言葉がふさわしいといつも思います。
そして、どうしてこの男性は、こんなにも「女性が美しくあるための道しるべとなるような言葉」を多く残すことができたのが、本当に不思議。
50年以上前に残された言葉のかずかずは、女性をとりまく状況がこんなに大きく変わったこんにちにおいても、むしろますます的確に、心に響いてくるような気がします。
by paginademaiko | 2009-03-30 22:05 | アート
「春のうららの隅田川」
という景色まであとわずか。

その隅田川のほとり、月島にあるMUSEUM at TAMADA PROJECTSの「シシリア スペシャル ビューイング」を訪れました。


ホセ・マリア・シシリア氏は、蜜蝋をつかった支持体を用いる作家。(「固めるテンプル」で固めたてんぷら油をみると、いつもこの作家の作品を思い出します)
昨年長崎県美術館で行われた展覧会の出品作の一部、および本展のための新作による展示とのこと。

個人的には、以前より眼にしていた蜜蝋特有の半透明な支持体に赤やオレンジ色の花がちりばめられているシリーズが、やはりいいなと。
黒みがかった血の色みたいな不定形が漂っている作品も出品されていましたが、すこし食欲を失ってしまうような感じで、私にはどうも。展示スペースが倉庫をリノベーションした場所で、コンクリート風の床ということも、多少影響していたかもしれませんが…。

この日はシシリア氏も会場にお越しになっていました。
眼が優しくて、スペインの人にしてはもの静かな感じ…というのが率直な印象です…。
by paginademaiko | 2009-03-28 10:23 | アート
原美術館に行くため、家を出たのはお昼近くになってのこと。

春が強まってゆくことを感じる、まぶしい光、青い空。
品川駅から美術館に向かいながら、初めてこの美術館をおとずれた日のことを思い出していました。…それはワタクシが16歳のときの、今日と同じように明るい春の日でした。

さて、この日は美術館にてアーティストの三杉レンジさんと待ち合わせ。
近所にお住まいという、レンジさんのお友達も合流して、3人で「ジム・ランビー」展を鑑賞。

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美術館に入るとまず、足元の床がゆるやかな曲線をともなった白黒のシマシマで覆われていることに気がつきます。そして、これら同心円状の曲線は別の方向から描かれた同様のシマシマと組み合わさりながら、床面をどこまでも侵食していきます。(青海波と少し似ていますが、1ユニットあたりのサイズ・かたちがまちまちで、組み合う方向が一定ではない)
その線を眼で辿ってゆくと眼がぐるぐるしてしまいそう。この感覚はまさしく1960年代に花開いたオプティカル・アート。

最初の展示室では、頭上に、様々なデザインの鏡が鏡面を下にむけるかたちで設置されていました。
鏡は日常生活のなかで用いられる既製品のようなもので、多くは円形状のもの。それらはほぼ水平なバーでつながれていて、そのバーの表面は、人間の眼の部分を寄せ集めたフォトコラージュのようなもので覆われています。作品を見上げる鑑賞者は鏡のなかに自らの顔を確認したくなります。その一方で鏡の周囲から無数の眼に見つめられていることにも気がつきます。
これもまた、視覚(オプティカル)ということを強烈に意識させる作品です。

この部屋には、レコードジャケットを使用した作品も設置されていました。
この作品を見ると、床の反復する曲線はレコードの溝のようにも思えてきます。すると、不思議なことに、いままで視覚というものを強烈に意識していたのに、ふと、聴覚というものへ意識が向いていることに気がつきます。

そして、いま思えばこの展示室での体験は、展覧会全体を愉しむための洗礼のようにも思えてきます。

2階では、様々な形のドアノブがくっつけられた半開きのドアが展示されていました。
ドアノブは人間の手に握られることを想定して作られてものであるだけに、それを掴んだときの感覚を想像させますし、半開きのドアはやがてそれが閉じられるときの音を連想させます。
…つまり私は、静かな空間にいて、基本的に作品に触れることは出来ないのに、気がつけば、視覚だけではなく聴覚や触覚をつかって作品を見ていたのです。

現代美術の展覧会では、様々なメディアを使用し、あるいはハンズ・オンという形で鑑賞者に様々な感覚を「体験させる」ような作品に出会うことは少なくありません。一方、ジム・ランビー作品は、静かにそこに存在しているだけなのに、いつの間にか鑑賞者は様々な感覚を「体験する」ことに至ります。
これらの体験は「受動的な体験」、「能動的な体験」と言い換えることもできると思いますが、私がこの作家の作品に対して素直に好感が持てたのは、作家が体験を「与える」のではなく、「体験する」ことを鑑賞者自身に任せているという気がしたからです。それはひいては、大げさに言えば、鑑賞者を自分と同じ一人の人間として対等に認識しているからできることのようなような気がします。

美術館でランチをとったのち、レンジさんのお友達のアトリエにお邪魔しました。
ご本人の作品は勿論のこと、インスピレーションを刺激するような小物や他の作家の作品、美術書がギッシリつまった素敵な空間でした。
素敵なティーカップでお茶を飲みながらまわりをみていると、すぐ背後に末松正樹さんの油彩が。

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その後、上野の森美術館でVOCA展を鑑賞。お目当ては橋本トモコさんの作品でした。
ただし、全体的には記憶に残るような作品がほとんどなかったのが非常に残念。作家の皆様方、それぞれ技術はお持ちだとはおもうのですが、どうしても、不安や鬱屈さを感じさせるような作品、病的あるいは稚拙な匂いを漂わせているような作品が眼につきました。時代を反映した結果がこうなるのか…?と思わなくもないのですが、若手作家の作品に限定されている展覧会だけに、そして私自身も同世代であるだけに、見ているとすこし悲しくなってきてしまいます。

この日の〆は、千駄木の「ギャラリー五辻」さん。野田哲也さんの作品を拝見いたしました。
野田さんは、長い間、日常にあるもの、特別ではない時間ををテーマに作品を制作されている作家さんです。今日見た作品はグレー系を中心としたニュートラルなトーンで構成されていましたが、作品の一部に差し込まれた色みが、曇り空の下の花の色のように美しいと感じました。


一日の終わり。私は午後の数時間の間に出会ったものを振り返りながら、
身の回りにあるモノ・コトへの丁寧な眼差しやそれをめぐる思索の大切さを、強く感じていました…。
by paginademaiko | 2009-03-17 22:57 | アート
週末、山梨まで日帰りひとり旅をしてきました。

利用した「ホリデー快速 ビューやまなし号」はオール2階建てで、2階席は窓が大きめにとってある、行楽にはぴったりの車両。快速なので18きっぷでも利用できます。
この日はまさしく春の到来を感じさせる明るい日差し、東京近郊では線路沿いの菜の花や早咲きの桜も目に飛び込んできました。梅は平野部ではほとんど散っていましたが、、列車が山ふところへと進むにつれ、満開の梅の群れが時折見られるようになりました。

途中の小さな駅での停車中のこと。
青色にペイントされた壁と、中央線のテーマ・カラーが反映された表示板が鮮やかに組み合わせれた場所を見つけました。
ルイス・バラガンの建築みたい、と思いながら写真におさめました。

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甲府ではまず駅前を少し散策。
駅前には城跡と県庁などの県の施設があり、一部には権威的な近代建築が残されています。
城址と県庁の組み合わせは各地の地方都市によく見られることですが、ここまで鉄道ターミナルに接近しているというのはむしろ珍しい、という印象を受けました。

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昼食は「ほうとう」。
山梨の郷土料理である「ほうとう」は平打ちのうどんのようなもので、きしめんよりも太くて厚くてゴツゴツした、野趣あるものです。鉄鍋で、味噌煮込みうどんのようにして食べますが、具にはかぼちゃが入っています。


おなかが満足したところで、バスで山梨県立美術館へ移動。
この美術館はいわゆる「郊外型」。
建物内部は増改築のためか動線が若干不自然な感じですが、つくり自体は全体的にゆとりがあり、レストランやショップも使いやすく、家族連れで来てもゆっくりと楽しめそうです。
(郊外型の美術館で、展示室以外の居場所があまりにも少ない美術館には、個人的にあまり好感が持てません。都市部の美術館ならともかく、郊外型の場合は、休日を過ごすためにそこまで足を伸ばしているのですから…。たとえば、休憩スペースについて考えるならば、疲れた子どもがお母さんのひざまくらで眠れるくらいの余裕が必要だと思います。また、レストランの席数は豊かであるべきですし、メニューもある程度はリーズナブルであるべきでしょう。)

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この日に見た展覧会は「山梨に眠る秘蔵の日本美術」。
寄託作品および県内の所蔵家の手許にある近世絵画と近代の日本画による展覧会です。

展覧会は3章から構成されていました。
このうち第1章、つまり近世のものに関しては、全体的におとなしめのものが多いという印象でしたが、そのなかで強く印象に残ったのが天竜道人の《葡萄図》です。
18世紀初頭生まれの天竜道人は、15歳で得度したのち長崎で医学を学び、のちに倒幕運動に参加するなど波乱の人生を送った人物ですが、50代後半からは多くの作品を残しており、葡萄を多く描いたことから「葡萄和尚」と呼ばれていたそうです。
出品されていた作品は双幅のもので、むかって右には葡萄のツルが跳ね上がる様子が、左側には枝垂れる様子が描かれています。葡萄特有のすこし角ばった感じのツル、バサッとした感じの葉の描写が見事ですし、様々な濃淡の墨で構成された葡萄の粒は、透明感があり、いかにもジューシーです。
この人物による他の作品を見てみたいと思うとともに、もしかしたら若冲みたいにブレイクする日がくるかも…とつい思ってしまうような、そんな作品でした。

第2章は鉄斎、小蘋らの作品を中心に。
冨田溪仙の《花鳥図》は写実的で堅牢な構図による花鳥画ですが、よく見ると植物はあるものは肥痩線で描かれ、あるものは均一の太さの線で、さらには没骨法も使われるなど、実験的な面白さのある作品でした。

そして、山梨ゆかりの作家の近代絵画を集めた第3章では、非常に印象深い作品との出会いが…。
(手前の展示室を歩いているときに、たまたま奥のスペースに展示されているその作品が目に入ったのですが、その作品に近づくまでの間、気になって仕方がないくらいのインパクト)

その作品の名は《春日》。作者は望月春江(しゅんこう)です。
二曲一双の作品で、1921年頃の作品。
向かって右の隻には右上につがいの鶏、そのまわりに黒と白の、フワッフワのひよこがそれぞれ5羽と2羽。地面に見立てられた無地の部分には百花の王牡丹を思わせる、キャベツのような植物が、間をおいて3株。左の隻にはこの植物のみが描かれています。
植物は白と翡翠色によるグラデーションで彩られ、全体的に淡い色で構成されている作品となっていますが、右席右上の鶏のトサカの朱色と左隻左下の落款の朱色が対角線をなして画面を引き締めている様子はまるで叙情的な雰囲気に満たされた画面をささえる理知的な仕掛けのように思えてきます。
画面がかなり傷んでいることが少し残念でしたが、この作品と出会えただけでも東京から2時間かけてくる甲斐があった…そう思える作品でした。

この日は、板橋区立美術館(元勤務先)の館長・安村さんの講演会「美術を秘蔵するということ」も聞いてきました。安村さんと作品との出会い(と別れ)をめぐるエピソードの数々、あまりの面白さに「これを講談に仕立ててみたら最高かも…」とつい思ってしまいました。安村さん曰く、出会いたいという作品は、念ずれば世に出てくることがある、とのこと。勉強になりました。



帰路、富士急行のグッドデザインな車両を目撃。
ブルーの車体に白いライン…とおもいきや、ラインは富士山の裾野なのでした。
カッコイイ!!

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by paginademaiko | 2009-03-16 17:31 | アート
3月最初の月曜日。
父と上野文化会館の精養軒でランチ。
ここのレストランに上る螺旋階段はその少し暗めの赤色が時代を感じさせます。

ここで、メニューに「チャップスイ」たるものを発見。
チャプスイは、数年前に清水登之の「チャプスイ店にて」という作品を見て以来、「どんな料理なのか?」と思っていた料理であり、勇んで注文をしてみました。
運ばれてきたのは、平たいお皿に乗った中華丼のようなもので、やや洋風寄りの味でした。

その後、メトロで青山まで移動、プロモ・アルテギャラリーで京戸絢子さんの展覧会を訪問。



続いて、月曜日に開館している数少ない美術館のひとつ、森美術館へ。
現在は「チャロー!インディア」が開催中です。
チラシなどの広告媒体からもわかるように、色や素材が骨太で濃厚な感じのものが多いのですが、皮肉はあっても怒りはない、といったように強烈なマイナス感情を想起させる作品はあまり見当たらず、比較的後味のよい展覧会でした。

そして、つい、同じアジアの大国の現代美術を大規模に展観した、「アヴァンギャルド・チャイナ」(2008年、国立新美術館)と比較したくなります。


「アヴァンギャルド・~」では、当時の政治や社会に対して次々と誕生した前提的な運動のなかで創出された作品が数多く展示されていましたが、その表現は顔や肉体が強調された身体性を強く感じさせるものが多く、作品を通して、外界に対しての自らの立ち居地を模索するような、個人的・内省的な部分に興味を向けた作品が多かったように感じました。一方、「チャロー!~」の作品は、都市や集団が共通認識している記憶、矛盾や希望を扱っているものが多く、それらが鑑賞者を強く惹きつける色や形をまとって表現されていることから、同じように異文化を対象とした展覧会でありながら、「アヴァンギャルド・~」比べて、よりスムーズに作品の世界に入り込める気がいたしました。


(ここで、それぞれの展覧会名に関されている言葉が展覧会の性格を如実に表していることに気がつきます *「チャロー」とは現地の言葉で「行こうよ!」という意味)
by paginademaiko | 2009-03-08 18:35 | アート
2月なかごろ、国立新美術館に加山又造の展覧会を見に行きました。
感想をひとことでまとめると「アクが強い!」。
いろとかたちが、こってりと、うねうねと、ぬらぬらと、堅さや湿り気をともないながら、画面の中で競い合っていました。

冒頭部分の「雪月花」シリーズはとても巨大。
うち、最も入り口に近い場所にかけられた一点については、たなごごろの美術である料紙装飾にヒントを得たと思われるものだけに、その大きさにはかなりの違和感が。

若い時代に制作された、動物のシリーズも強烈。
平面的な表現でありますが、いわゆる「地と図」の関係(語弊があるかもしれませんが、いわゆる主従関係のようなもの)はここには見られず、前景にあると思われるものも、遠景にあるとおもわれるものも、ひとしくその存在を主張しているものだから、見ていてとても圧迫感を感じてしまいました。

琳派の特徴をそなえた作品についても然り。
すべての部分にピントがあっているような表現。
主役も背景もメリハリなく、濃く、濃く主張しています。

作家は戦後まもなく、京都で結成された「創造美術」に参加をしていますが、どちらかというと「アク強い」感じは、「創造美術」よりもむしろ、同地・同年に結成された「パンリアル協会」周辺の作品に近い印象を受けました(たとえば1950年代の下村良之助の作品など)。

これまで、この作家については、、伝統的な主題やモチーフ、それから裸婦なんかを描き、画壇で成功した人、ぐらいにしか思っていませんでしたが、今回の展覧会をみて、これまでの印象は悉くひっくりかえされました。
日本画の世界の革命児のように捉えられてきたのも、なんとなく納得。
(個人的な好き嫌いは別として)

ところで、日本航空ではファーストクラスの内部が、加山又造(壁画)によって飾られていたことがありました。しかも、インテリアデザインを担当したのは剣持勇。
(その内部の様子については、たしか、2004年に松戸市の美術館で開催された「剣持勇とその世界」展で、実物大くらいの写真が展示されていた気が…。)
まさしく、空とぶミュージアムですね。
by paginademaiko | 2009-03-02 21:21 | アート
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