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5月8日の母の日は、家族で埼玉県立近代美術館に集合しました。

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まずはランチを館内のレストラン「ペペロネ」で。こちらは、ミュージアムの中のレストランではかなりハイスコア。展覧会に関連したメニューも毎回用意され、そしてどれも美味しい。高い天井、公園に向かって大きく開かれた窓、そしてスタッフの明るくカジュアルな雰囲気もとても好ましいです。

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その後は同館で開催中の「アール・ブリュット・ジャポネ」を観覧。知的障害を持っている人の作品を中心とした構成で、もともとはパリで行なわれた展覧会のためにオーガナイズされたもの。これは、その、日本における凱旋展という位置づけです。

この展覧会は63人のつくり手による作品が展示されています。多くは、紙やペンなど身近にある素材が使われています。支持体を埋め尽くしてしたいという願望を強く感じさせる作品が多く、圧迫感を感じさせるものも少なくありません。しかし、作品はそれぞれ、造形的に強い特徴を備えていて、決して見飽きることがない。ひととおり見るだけでも、2時間以上はかかったでしょうか。

特に印象に残ったのは、齋藤裕一さんの「ドラえもん」。白い紙に青い線で、激しくそして執拗に特定のひらがなを書き重ねていくというもの。この作品は以前、別の機会で目にしたことがありますが、やはり今回も「呪術的だ」と思いました。そして、コトダマが姿を持っていたらこんな形をしているのだろうと思いました。(呪術的、といえば先日東京国立近代美術館のコレクション展示室で見た、滝口修造のカリグラフィーもかなり呪術的でした)

文字や記号を使った作品-それは、彼ら独自の言語であったりする-は、齋藤さんの作品以外にもたくさんありました。また、正面から見た電車のすがたを、細長くデフォルメしたものを何百、何千と画面の中に敷き詰めた本岡秀則さんの作品をはじめ、電車や飛行機をモチーフとする作品も多くありました。

なかには「製作をぱったりとやめてしまった」「いまは作っていない」というひともいるのですが、そういう意味でも「アール・ブリュット(Art brut,生の芸術)」なのかなあ、と思いました。


その後は、家族と別れまして、鉄道好きの人々と荒川の土手に集まり「鉄橋を渡る列車をみながらビールを飲む会」を催行。

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夕暮れ時には素敵な夕焼けが見られました。
by paginademaiko | 2011-06-29 09:20 | アート
5月7日。

この日は午前中のみ勤務して、その後、恵比寿へ。

まずはMA2Galleryで「樋口明宏 見立て」を見て、それから東京都写真美術館に向かいました。

こちらでは「夜明け前 知られざる日本写真開拓史」と「芸術写真の精華-日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展 」を見ました。

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「夜明け前」は、東京等写真美術館が全国の美術館・博物館・図書館・教育委員会等への問い合わせ、そしてその後の調査を経て、うち四国・九州・沖縄から集められた、ペリー来航前後から1900年頃までの資料によって構成されています。

この展覧会は、写真を美術の枠組みのなかでとらえるものではなく、歴史的、あるいは技術史的な面で再考しようというものです。その多くは、風景を写したもの、そして肖像写真など「記録」としての要素の強いものでした。

その出品作品は、手元の出品リストによれば340点にのぼります(途中展示替えあり)。会場では資料の展示のほかにプロジェクターによるスライドショー形式での投影もあり、大変なボリュームでした。資料の点数だけでなく、こののち見た「日本のピクトリアリズム」に比べてずいぶんお客さんが多かったのも、印象に残りました。


続いて訪問したのは、「芸術写真の精華-日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展」。こちらは「アートとしての写真」が前面に押し出された内容の展覧会。サブタイトルに間違いは無く、数多くの素敵な作品と出会えました。

出品作品の制作年代は1910年前後から40年頃まで。「ピクトリアリズム」の言葉どおり、同時代の絵画との関連もところどころで連想させられつつ、鑑賞しました。特に大正の時代の作品にはソフト・フォーカスのものが多く、日本画におけるモヤッとした表現との共通点を強く感じました。

ヌードをモチーフとした作品もいくつかありました。明治期の洋画の世界に吹き荒れたヌードの受容と表現をめぐる喧騒も踏まえつつ、「では写真における、芸術的な裸体とは」という試みを、思索しながら作っているような印象。「ネイキッド」と「ヌード」の間をゆらぐような作品も。

花や果物を使った作品も素敵なものがたくさんありました。いずれもモノクロ写真で、被写体が備えていた色は想像するほかにすべはありませんが、しかし白と黒をめぐる無数の諧調は被写体の姿にモニュメンタルな性格を与え、その必要は無いように思いました。
by paginademaiko | 2011-06-29 09:10 | アート
5月6日。

大型連休中の平日を狙って掛かりつけの眼科へ。
場所は青山。

その後、岡本太郎記念館で待ち合わせ。

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記念館の前のコーンは、やはり、普通のものとは一味違いました。

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この日は渋谷から東急に乗って用賀まで。
目的は世田谷美術館の「白洲正子 神と仏、自然への祈り」です。これは、白洲正子の随想などにおいて、その審美眼とともに語られてきた、日本各地の社寺に伝来した名宝を一同に会した展覧会。

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絵画、彫刻、工芸、書など、ジャンルは多岐にわたっていましたが、いずれも正子の好みという点で共通していることから、様々な作品を目にしても、安定したテンションで見られるのが心地よく感じました。作品によっては、正子の随想の一節がともに紹介され、その視線を追体験できるようになっていました。

会場では、湖国・滋賀につたわる仏像にスポットをあてたコーナーもありました。仏像といえば、多くの人は奈良や京都に伝わるものを思い浮かべることと思いますが、滋賀にも、多くの素晴らしい仏像が伝わっています。私は仏像をたずねて滋賀を歩いたことが何度かあるのですが、それらの多くは、里や、山奥のちいさな堂宇にひっそりと安置されていて、そこではにわかながら信仰心というものがおのずと湧き上がってくるような感覚を覚えたものです。

見てみたかった「日月山水図屏風」(大阪・金剛寺蔵)は展示替えのため見ることは出来ませんでしたが、会場に展示されていた作品は、まさしく日本美術の精華、ともいえるものばかり。よくこれだけのものを集めたなあ…と思いつつ、結局至ったのは、やっぱりそれらは本来置かれている「場」で見こそ、という思い。

絵画のなかには、参詣曼荼羅など、巡礼をテーマにするものもありました。正子の足取りは、まさしく美しいものへの巡礼。自らがそこへ向かうといことは、対象に対するうやまいの表れなのだと思いました。展覧会の会場で、素晴らしい作品をたくさん見られたのはとても嬉しいことでしたが、そこで私は、あまりにも楽をしているのではないかと、なんとなく作品に対して申し訳ない気分になってきてしまいました。それが美にたいする信仰心から来たものだとすれば、その信仰心をひとの心中に興すことができるということが、この白洲正子という女性の特別な才能のひとつなのでしょう。


そして、展覧会を見ているうちに、旅に出たくなったことは言うまでもありません。
好きなものには、やはり、こちらから会いに行かせていただきたいと思います。
by paginademaiko | 2011-06-27 10:58 | アート
大型連休中の貴重なおやすみの日。

湯島天神、横山大観記念館、上野動物園、亀戸天神…とまわりまして、最終目的地は清澄白河の東京都現代美術館。

ここでは「田窪恭治展 芸術風景」を見たあと、同館で開催中の「MOTアニュアル 世界の深さのはかり方」を訪れました。


この展覧会では冒頭にて、水中にロープを下げてゆきそれが水底に達したときのわずかな感触によりその水深を測ることを、目に見えないものに手を伸ばし、それを認識しようとする作家の行為に例えています。

ここで紹介される6名の作家による作品の共通点は、いずれも日用品や鉛筆、糸といったいずれも身の回りにある素材やテクニックによって生み出され、具象的な表現やストーリーとは疎遠な姿を持っているということ。多くは実際に触ることが禁じられているそれらの作品は、素材そのものの本来の用途とは切り離された姿をそこに展開し、普段私たちが日常の生活のなかで行なっている様々な知覚への再考を促します。

最初のスペースでは、冨井大裕さんの立体作品が展示されていました。作品は1種類ないしは2種類程度の既製品を組み合わせたもの。台所用のスポンジ、えんぴつ、工具、画鋲…。実用品が持つ「用の美」とはまた別の「集合の美」-たとえるならマスゲームに見られるようなみたいなある種のこっけいさをともなった美しさが、とても魅力的でした。

冨井さんの作品は、比較的カラフルなものが多かったのですが、続く木藤淳子さん、関根直子さん、池内晶子さんの作品は、それぞれ小さな白い紙片、鉛筆、極細の絹糸を用いた作品。繊細なテクスチャーが続き、ふりかえってみると全体的に印象が淡い。それに続く椛田ちひろさんの作品は、ボールペンのインクによる、すこしギラギラした強さがありますが、見るほうの気持ちとしては、できればこの間、色彩や機知がもう少し欲しかった。

最後の展示室には、はカセットテープのテープを、ボールの周囲に巻きつけることで「球状の音源」を作った八木良太さんの作品。これを専用のプレーヤーの上に載せると、予想不可能な回転で、予想不可能な音をエンドレスで流し続けます。試みとしては面白かったけれど、音がちょっと不鮮明なのがちょっと残念でした。

カセットテープを使った作品といえば、2005年にICCで見た「ローリー・アンダーソン 時間の記憶」床面に、ドアを開くときの軌跡に沿ってテープを貼り、ドア自体にはそれに対応するヘッドがありました。この展覧会は強く私の記憶に残っていて、もう一度見たい展覧会としては上位にランクインするもののひとつ。

この人の魅力のひとつは「力強さ」。
そして、同行者が映像の中のその姿をみて「意思の強そうな人だね」とつぶやいたことを、今でもよく覚えてます。

今回のMOTアニュアルの作家たちは、70年代生まれが多く、私とほぼ同世代ということになるのですが、繊細さやユルさというのはこの世代の特徴のひとつなのかな、とあらためて思いました。かつて自分の親たちの世代にあたるアーティストたちが備えていたような骨太さや図太さというものの復権は、いずれは起こるだろう、そして起こってほしいと私は思うのですがその気配はまだ無いように思います。それは、世界に対峙するそれ以前、その間合いの取り方さえ難しい時代のゆえかもしれません。

閉館時間を迎えてしまったので、コレクションによる展示は見られず。

帰りの途中、北千住駅では青いロマンスカーを見つけました。

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by paginademaiko | 2011-06-22 11:35 | アート
お天気にめぐまれた5月4日。
湯島天神、池之端、亀戸天神に続いて、最後の訪問地、東京都現代美術館へ。


こちらでは「田窪恭治展 芸術風景」と「MOTアニュアル 世界の深さのはかり方」を見ました。

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田窪恭治氏は、美大を卒業後の70年代から80年代の終わりにかけて、イベントや廃材、家屋を用いたコンセプチュアルな活動を展開したのち、90年代にはフランスに渡りノルマンディー地方の礼拝堂の再生プロジェクトを展開しました。私がこの作家の名前を知ったのは、その名前を大きく広めることとなったこのプロジェクトによってですが、作家は帰国ののち、現在では「ことひらさん」-金刀比羅宮の文化顧問として山全体の再整備計画を手がけています。

美術館に到着したのは午後4時近く。「田窪恭治展」は1階から地下へと続く構成になっていましたが、会場入り口にて、地下の展示室で作家による公開製作が行なわれていることを知ったため、とりあえずそちらに向かうことにしました。

公開製作の会場は、金刀比羅宮の「椿書院」を再現した空間。そこには実際に金刀比羅宮の椿書院に嵌められている襖も持ち込まれており、そこには作家がオイル・パステルと自らの指、手のひらをもちいてヤブツバキを描く姿がありました。ガタガタと、襖が振動する音がその行為の激しさを伝えてきました。

その製作は、見始めて10分ほどで終了時間となってしまいましたが、その後は、作家の発案により質疑応答の時間となりました。100名ほどの鑑賞者のなかから、数名が質問としましたが、小さな問いに対しても作家が繰り出す言葉のボリュームはとても多く、結局ここでは30分ほどが費やされました。「語ること」が好きなタイプのひとなのだなあ、と思いました。

その後、あらためて会場入り口から展覧会を鑑賞。

1回展示室では、現在も進行中の「琴平山再生計画」を主題とした展示。床にはコールテン鋼、そして鋳物によるタイルが敷き詰められ、歩くごとにゴトゴトと、金属どうしが触れ合う音が。見事だったのは、白地に藍色で大きな椿の花がひとつだけ描かれた正方形の陶板が、壁一面を埋める空間。その花の数、数百。なお一部には赤い彩色が与えられていました。それぞれ自由な姿態をもちながら整然と並ぶ姿からは、京都・法然院の散華-黒光りする床面に整然と椿の花が並べられる、このお寺特有の散華様式-を連想しました。

そして1階の最後の展示室で語られているのは、1987年に行なわれたプロジェクト「絶対現場」。建築家の鈴木了二氏、写真家の安齊重男との協働により木造家屋の解体をひとつの儀式として展開したこのプロジェクトは、プロセスそのものを作品の重要な構成要素ととらえる田窪氏の考えを強く感じさせるものでした。

続いて、地下の展示室に進むと、こちらではさらにさかのぼって70年代の活動が紹介されていました。

「イメージ裁判」と名づけられた、画廊を舞台としたイベントによる活動は、案内状に記された情報と実際に画廊で行なわれるイベントの間のイメージの齟齬を主題としたシリーズとのことですが、こんにちの私たちはそれをドキュメントのかたちでしか知ることが出来ないという、生ものに近い作品。私がここで思い出したのは、同じく70年代において画廊におけるハプニングを展開した、シュウゾウ・アヅチ・ガリバー氏のこと(2010年に滋賀県立近代美術館で回顧展を開催)。田窪氏は1949年生まれ、ガリバー氏は47年生まれですから、両者は同時代。ガリバー氏のほうが、物質への興味はずっと強いものですが、「鑑賞者や社会の反応」をひっくるめて作品とするところはやはり近いものがあると思いました。

廃材や金箔をもちいた80年代のオブジェ作品の展示を経て、90年代に展開した「林檎の礼拝堂プロジェクト」が登場。会場では、ノルマンディーに伝わる、使われていなかった小さな礼拝堂の再生の物語がつづられます。建物内部を荘厳する壁画については、様々な技法研究のすえに、鉛の上に何種類もの顔料を塗り重ね、それを書き落としていくという方法が採られ、そしてこれによりこの地域に自生する林檎の木が描かれました。

絵画というものは、多くの場合、支持体のうえに絵の具を「乗せていく」ことでイメージを出現させていきますが、これは「削り取る」ことでそれを行なっています。前者を「プラス」ととらえるならば、後者は「マイナス」と言うことができます。これは彫刻でいうならモデリングとカービングの関係ということができます。削るという行為からは、建物が持つ記憶や、建物が吸ってきたこの土地の匂いを掘り起こしていくことを連想させました。

順路に従い、ふたたび金刀比羅宮の椿書院を模した会場を経て、礼拝堂の再現、習作の展示を見て観覧終了。

すでに時刻は5時をまわっていました。大急ぎで同館内で開催中の「MOTアニュアル2011 世界の深さのはかり方」へ。
by paginademaiko | 2011-06-21 13:50 | アート
5月4日は東都さんぽ。

湯島天神から、池之端をぶらぶらした後、藤を見るために亀戸天神へ向かいました。

地下鉄の根津駅には、利用者のための文庫があります。

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大手町で半蔵門線に乗りかえ、最寄駅の錦糸町で下車。錦糸町を歩くのは始めてだったのですが、亀戸天神に向かう途中で見つけて入ってみた鰻屋さんがとても美味しく、第一印象は上々。

しかし…目的地の亀戸天神は大変な混雑で、正直、藤の花を楽しむどころではありませんでした。

神社へと続く細い参道は、お客さんでギッチギチ。

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赤い太鼓橋の上も…。

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スカイツリーはよく見えました。

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そしてこのあとは、半蔵門線で清澄白河へ向かい、東京都現代美術館へ。
春の大型連休。今年はカレンダーの関係で長く休みをとった方もいたようですが、私の勤務形態はそんなこと関係なし。期間中、最初の休みは5月4日でした。


朝。私のコップのお水を狙っている猫を激写。コラー!

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この日の予定は、湯島天神、そして藤が見ごろの亀戸天神で江戸風情を楽しんだ後、最終目的地は木場の東京都現代美術館というプラン。天気がよいこともあり、元気系の、オレンジ色の着物でお出かけしました。

最初の目的地は、5月の連休の恒例行事、湯島天神への訪問。
境内は大賑わい。社殿には、白無垢を着た花嫁さん。花嫁さんも可愛いけれど、巫女さんも可愛い。

次なる目的地は、池之端にある森鴎外の旧宅。ここは「舞姫」を執筆した場所としても知られています。昨冬にベルリンの鴎外のアパートを訪ねて以来、初の訪問。ここは現在ホテル「鴎外荘」の一部となっており、昼食をこのホテルのレストランでとろう、という計画です。

湯島の坂を下りて、不忍池に沿って歩いていきます。池の向こうには弁天堂。ちょっと角度は違うけど、小田野直武の「不忍池図」を思い出します。

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スカイツリーも見えました。

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しかし、その後は、いろいろと予定外の寄り道をしてしまいました。

まずは、横山大観記念館
ここはかつて横山大観が暮らしていた住まいを美術館とした施設。

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門の中に入ると、そこには緑豊かな空間がありました。

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日本家屋であるその建物はそう大きなものではありませんが、館内には大観の作品やゆかりの品々が展示されており、アットホームな雰囲気のなか作家の足跡を味わうことができました。また、その庭は、琵琶湖を模した池のせいか実物以上に高低差が感じられるような場所。新緑が大変きれいでした。

その後、ふたたび不忍池に沿って鴎外荘を目指しますが…ここで行く手を阻むさらなる強敵が出現。

「上野動物園 無料開放日」。

この日はみどりの日ということで、上野動物園が無料で開放されていたのです。
もともと、動物園は結構好きなので、やっぱりここにも吸い込まれてしまいました。

無料ということもあり、園内は家族連れやカップルを中心にかなりの混雑。上野公園のホットな話題といえばパンダですが、そこはさらに大混雑とのことで、近づくことは断念。ことし来園100周年を迎え、上野動物園がさりげなくプッシュしている、カバのコーナーなどを見ました。

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普段は動物たちに触ることができる「こどもどうぶつえん」のコーナーも人がいっぱいで、普段ここの広場にいる動物たちの多くは退避している模様。ヤギやニワトリたちが柵のなかでのんびりと過ごしていました。

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上野動物園の中にはモノレールもあります。

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動物園を出て、引き続き鴎外荘を目指す…。

その途中の一角には都電の車両が保存展示されています。でも、進入防止のフェンスがやたら高いのが残念。

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そしてやっとたどり着いた鴎外荘。ですが、レストランは混雑のため順番待ちで、1時間以上待つとのこと。

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食事はあっさりとあきらめ、鴎外旧宅とお庭だけ見て、地下鉄の根津駅から亀戸天神に向かうことにしました。
by paginademaiko | 2011-06-15 14:25 | アート
4月28日催行、静岡の弾丸日帰りアートツアーも、いよいよ最後の訪問地へ。
場所は静岡市美術館、目的は「ハンス・コパー」です。

この展覧会はすでに汐留ミュージアムで見ているものですが、静岡市美術館は駅前のビルの中に入っていてアクセスも良く、しかも夜7時まで開館しているということで、もう一度こちらで見ることにしました。

こちらの美術館は、館内のサインやピクトグラムがとてもかわいらしい。展覧会ごとのチラシやバナーも、親しみを覚える、かつオシャレなデザイン。今回の展覧会でも、日本では一般的にその名を知られているとは言えない、ドイツ出身でイギリスで活動した陶芸家、ハンス・コパーの名が手描き風の文字で演出されていました。

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会場は、汐留ミュージアムに比べてかなり広く、全体的にゆったりとした展示。

前半は、ルーシー・リーと共同制作を行なっていた時代、そしてのちに自身のアトリエを構えたディグズウェルやロンドンで生み出された作品が紹介されていきます。章ごとに照明の照度が変えられていました。

後半ではまず、比較的大き目の展示室に、展示台の列が平行に4本並んでいました。それぞれの展示台にはスポットが真上からあてられ、水平、垂直の要素の多い、整然とした印象。列は器形ごとにまとめられ、なかでもアザミの花を意味する「ティッスルシリーズ」は古代の祭器を思わせる、実用性からの距離を置いた、この作家ならではのかたち。

コパー作品の終盤を飾るのは「キクラデスシリーズ」。こちらは、弧を描く仮設壁が設けられ、それに沿うように古代キクラデス時代の人物像のようなシルエットを持つ作品が展示されていました。

最後の展示室は、作家の若き日の製作パートナーであったルーシー・リーの作品がまとめて展示されていました。

前回、汐留でコパーの展覧会を見たときは、その前に国立新美術館でルーシー・リーの大規模な展覧会を見ており、コパーの作品はなんとなくその文脈上にあったのですが、今回の展示はコパーの作品の直後にリーの作品が来るという展開、また新鮮な目でその作品を見ることができました。こうしてみてみると、やはりリーの作品はチャーミング、そしてコパーの作品はストイックだと思います。


この日は、軽くお寿司を食べまして、帰京はおなじみ静岡発19:30の373系でした。
by paginademaiko | 2011-06-08 22:36 | アート
4月28日の午後。

静岡県立美術館で「百花繚乱展」を見たあと、県民ギャラリーで開催されている同展の関連企画「机上の地平/梱包箱」を見ました。

現代美術作家6名によるこのグループ展は、同メンバーによるプロジェクト「箱と人 静岡編」の一環として開催されているものです。


県立近代美術館での展示は、6人の作家がひとりひとつずつ机の上に展示を行い、またワークシートを用いたセルフ形式のワークショップを通じて、同館の収蔵作品に対する訪問者の思いを集めていくというものでした。

こちらを訪問後はこのプロジェクトのもうひとつの展示会場である、Gallery PSYSを訪問しました。場所は静岡駅からバスで10分ほどのところ。

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ここでは会期中、作家が順番に展示を行なっていて、この日は、このプロジェクトをお知らせしてくれた青木聖吾さんと、三輪洸旗さんの作品を拝見しました。青木さんの平面作品は以前に何回か見ていますが、その作品は「星」とか「光の3原色」とか「網膜」とか、「光」にまつわる、かなりマニアックな部分を追求しているご様子、それは画廊特有の白っぽい空間で目にすることが多いのですが、やはりいつかは床・壁・天井とも黒とか濃紺の空間のなか、その作品自体が発光する感じを味わいたいと、勝手に野心を抱いております。
by paginademaiko | 2011-06-08 22:32 | アート
1日で6ヶ所の美術館・ギャラリーをめぐるアートな旅。

「クレマチスの丘」で3つの美術館を訪れて、、シャトルバスで三島駅に戻ったのは午後1時前。駅で昼食を食べてから、東海道線でさらに西に向かい、下車しましたのは草薙駅です。

ここからバスで向かったのは静岡県立美術館です。



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今年開館25周年をむかえた静岡県立美術館では、コレクションによる企画展「百花繚乱展」を開催中でした。


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展示構成は、外国人作家による油彩画、版画、日本人作家による油彩画、現代美術、そして江戸期までの日本の絵画、となっていました。

外国人作家による油彩画は、同館の作品収集のテーマのひとつである「風景」をテーマにしたものが多数ありました。古いものではクロード・ロランなど17世紀のものも。18世紀では廃墟マニアのユベール・ロベールの作品もありました。19世紀以降ではコンスタブル、テオドール・ルソー、ターナー、コロー、クールベ等々美術史の教科書でおなじみの名前も続々。印象派以降ではモネ、ゴーギャン、シニャックを経て、20世紀ではヴラマンク、カンディンスキー、グリスそしてクレー。ちなみに、20世紀の作品は風景よりも静物をテーマとしたものが多かった気が。

ここまで華やかな名前が並んだところで、登場するのが版画のセクション。恩地孝四郎のセンチメンタリズムたっぷりの作品など、それまでの展示からがらっと雰囲気が変ってしまったように見えますが、たとえば「人体考察(肩)」などは幾何学的な形態で人体が表現されていて、三角形が丸に突き刺さる部分などはロシア・アヴァンギャルドのポスター、エル・リシツキーの「赤き楔で白を撃て」を連想させました。

西洋の版画は、古いものではレンブラント、ファン・オスターデなど17世紀のものも。ドーミエのカリカチュアなどもありました。

続いて、日本人作家による洋画。ここでは、静岡県ということで富士山が描かれた絵も多く見られました。

川村清雄の「波」は、ダイナミックな構図ともりもりのマチエールが、見るものに衝撃を与える、素晴らしい作品!それまでの伝統的な日本の絵画とも、川村がヨーロッパで目にしたであろう同時代の西洋絵画とも一線を画す作品。クールベが見たら間違いなく嫉妬してしまうこと間違いないと思ってしまう。この人の表現力の豊かさは本当に惚れ惚れしてしまいます。


吉田博の作品もありましたが、やはりこの作家は透明感のある水彩画、あるいは版画のほうが好き。

私の好きな野口謙蔵の作品もありました。「虹の風景」という作品なのですが、その不可解な空模様には、ジョルジョーネの「テンペスト」を思わずにはいられません。

このコーナーには、ここには、西洋絵画への憧れを素直に表現した日本人作家の作品-例えば、モネの絵画からの学習を強く感じさせる山本森之助「海岸」そして、セザンヌ崇拝な小出楢重「静物」などもありました。

セザンヌといえば、続く現代美術のコーナーには森村泰昌の「批評とその愛人」シリーズもありました。これはセザンヌの静物画「りんごとオレンジ」(オルセー美術館蔵)を素材とし、それを少しずつ改変したシリーズで、森村の作品のお約束として、そのところどころに作家の顔が挿入されていいます。この元絵は、画中右上部分の布のたわみが、画家が愛したサント・ヴィクトワール山の形にそっくりであることが指摘されていますが、この森村作品のなかではそれもまた微妙にデフォルメされ、なかには昭和新山みたいな形をしたものもありました。

現代美術の作品は、外国人作家のモリス・ルイス、キーファー、コスース、日本人作家の田中敦子、吉原治良、難波田龍起らに囲まれ、焼津出身の石田徹也。1973年生まれの石田さんは不幸な事故で若くして亡くなってしまったけれど、このようにそれよりもずっと上の世代の物故作家の作品とともに展示されたりすると、「夭折の画家」というある種の伝説的なキャラクターが(過去の作家の例でいうと青木繁、関根正二、松本竣介とか)、見る側のうちにも否応なしに自然と意識されてしまう気がします。でも同じ70年代生まれの私からするとちょっとそれはさみしい感じ。

現代美術の次に展示されているのは、江戸期までの日本美術、および近代以降製作された日本画。手元のメモによると、その展示構成は時代や流派ごとではなく、もっと自由な感じ。

以下では、気になった作品について、会場で目にした順番とは関係なく、狩野派、琳派、その他の江戸絵画、近代以降の作品、といったふうにまとめながらご紹介します。

狩野山雪の「富士三保松原図屏風」は近景に清水を描いたものですが、富士山がとにかく大きい。それは神がかり的でさえあり、「メガ富士」とでも称したくなります。

狩野派の中でも、近年個人的に注目している狩野永岳の作品は、 「富士山登竜図」が出ていました。縦長の画面に、富士山をめがけて海から上っていく龍の姿を描いた作品、横山大観の「生々流転」のラストシーンを思い出しました。

ひとつの作品のなかに富士山が12回も登場するのは狩野惟信の「富嶽十二ヶ月図巻」。毎月の富士山の様子を1巻の巻子のなかに描いていくという作品です。七夕の場面の、赤い小さな短冊をつけた笹が、かわいらしかったです。

琳派系作品では鈴木其一の「干瓢干し図」が気に入りました。画面の中では男の人がカンピョウの実を輪切りにして、2人の女の人がそれをかつら向きにしています。彼らの頭上には、リボン状に切られたカンピョウが干され、そよそよと風になびいています。瓜をめぐる情景として、北斎の「西瓜図」のリアリズムと、好対照を成すような作品だと思いました。

そして、山本探川の「宇津の山図屏風」は昨年の2月に佐野美術館で一度見たことがありますが、やはり面白い作品。扁平な、金色の地面からモコモコと映えているマッシブな山々、そしてその向こうには画面の上端まで続く青海。なんとなく漂う表現主義的なニオイ。

この美術館の収蔵品のなかでも特に人気の高い、伊藤若冲の「樹花鳥獣図屏風」もありました。この、様々な動物が樹下に集合するという、まるで主人公の居ない「涅槃図」あるいは「ノアの箱舟」のバリエーションのような作品は、平面作品でありながらモザイクを装ったように見えるまことに奇妙な作品として知られています。しかし実際のところこの作品の不思議さというのはそのモザイク的な表現のほか、たとえばゾウを真正面からとらえ、その最大の特徴である鼻を、存在感希薄に描くなど、モチーフそのものの描き方の奇異さにもあるのではないかと思います。

司馬江漢の富士は、狩野山雪の富士に比べると西洋的リアリズムのなかに押し込められてしまっているような気がします。だけど、その少し硬い表現は嫌いじゃない。

竹内栖鳳「揚州城外」は、画面を占拠する木々の群れは一見するとシミの集まりに見えるけれど近づくにつれその透明感が増していくのが不思議。栖鳳の描きだす世界は、それが紙という平面の上にあるということを感じさせない、つまり支持体の存在さえ忘れさせてしまうことがあります。


秋野不矩の名作「廻廊」も展示されていました。この作品は、その迷いのない表現から、インドにほれ込んでしまった作家の思いが強く伝わってくるような作品です。


「百花繚乱」というだけあって、非常にボリュームのある内容。体力を消費した感じが残りましたが、やはり魅力的な作品が多いと、満足感のほうが勝ります。


ということで、続く「新収蔵品展」も基本的には好意的に見られました。ただし、ここでは、ロココ時代を代表するフランスの画家・ブーシェの作品が新収蔵作品として展示され、それにあわせてリーフレットも作成してありましたが、個人的には、すでにこれだけの日本美術のコレクションがあるのなら…、と思います…(ロココ好きな県民の方ごめんなさい!)。


その後は、1階に移動し、「百花繚乱展」の関連企画で、現代美術作家6名によるグループ展「机上の地平/梱包箱」を訪問しました。
by paginademaiko | 2011-06-06 19:58 | アート
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