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7月27日。

この日は朝に軽く鉄活動。目的は新型秋田新幹線・E6系の甲種輸送でした。

朝6時。三島駅の上りホームの沼津寄りでスタンバイ。

事前情報では、おとなり愛知県内では沿線の至るところで大勢の見物者たちが集まっていたとのことですが、この時点では私の他にE6目当ての人の姿はみられず。

そのうち、カメラをもった鉄道ファンと思しき男性が一人、ふたりと現れ始め…
通過時刻の10分程前には数組の家族がやってきました。

そして6時半過ぎ。
新幹線の車両を率いたEF65がやってきました。

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初めて間近で見るE6は、前面こそ真っ赤ですが、側面は全体的に白っぽい印象でした。
前面の窓部分は養生されていました。

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一方、いちばん後ろの部分は先端部分が開かれ、そこに反射板が付けられていました。

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その通過は一瞬の出来事ではありますが、新幹線の車両が在来線の線路を走るというのはビジュアル的にもすごいインパクトでした。この甲種輸送については、鉄道ファン以外の人はほとんど知らないと思われますが、例えば、何も知らないでホームで列車を待っていた人にとっては、突然新幹線が目の前にやってきたらとてもびっくりするのではないでしょうか。また、その情報を知らない鉄道ファンの人がこれに遭遇したら大興奮してしまうかもしれません。この列車がその先でいろんな意味で人々に驚きを与えていくのだろうなあと思って、勝手にワクワクしてしまいました。


そして新幹線を力強くひっぱる国鉄型機関車のカッコよさにも惚れ直した朝でした。
7月24日。

熱海駅でガリガリ君のラッピングトレインを目撃しました。

前面には制帽を被ったガリガリ君。

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側面にもバラエティー豊かなシチュエーションのステッカーが貼ってありました。

妹のガリ子ちゃんも一緒に海を楽しんでいます。

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こちらのガリガリ君はアイスではなく大きな海老を豪快に食べています。育ちざかりのお年頃ですものね。


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車内に入ってみてびっくり。

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徹底的にガリガリジャックされていました。



中吊りには、夏を満喫するガリガリ君が大集合。
そのお口の大きさゆえに、シュノーケルは殆ど役に立っていないように見えますが…。


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ガリガリ君のふるさとは、私と同じ埼玉県。海なし県。
こんな風に夏の海を満喫している姿を見て、なんだか嬉しくなりました。
7月20日…夏の18きっぷ解禁日!


この日は「浜松工場 新幹線なるほど発見デー」へ行きました。
訪問は2011年の夏以来、2回目です。


出発駅は三島。
列車を待っている間に貨物列車が何本か通過。気分を上げてくれました。

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そして東海道線で一路西へ。

ちなみに、この日は、「富士山トレイン371」の運行日でもありました。これは昨年のダイヤ改正で定期運用から外れてしまった371系の車両を使った臨時列車で、今年は浜松と御殿場の間を6日間に限って走りました。

せっかくなので、興津駅で一旦下車して待ち構えてみました。
どこか新幹線を思わせるデザインです。

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浜松駅には11時頃に到着。ここから会場までは無料のシャトルバスが出ていましたが、乗り場に向かうとそこには長蛇の列が。係員さんによればシャトルバスの待ち時間は1時間程とのこと。あわせて路線バスでも行けることが案内されたので、ここは後者を選択しました。

そしていよいよ会場へ…ただしバス停から一番近い入り口はちょっと裏口みたいな雰囲気で、意外とひっそりした印象。

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ですが、それもまた普段の工場に忍び込むような楽しさがあります。
見慣れない言葉づかいにも逐一ワクワク。

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ん?ここは…塗料関係の廃棄場所のようです。

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手前に積んである空き缶は塗料の容器、奥のドラム缶は残った塗料を廃棄するためのものと思われます。


抽象表現主義的。

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全体的に青と白いトーンで構成されるのは、東海道新幹線の新幹線のカラリングに由来しているのでしょう。


さらに進むと、メインゲートとなる「東受付」に到着。
こちらはシャトルバスから降りてきた来場者で大変にぎわっていました。

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新幹線のメンテナンスに使われる建屋に入ると、編成から分割された状態の車両がありました。

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ロゴマークの後ろに付いている「A」は、この春登場したN700Aの新機能の一部を、改造によってN700に追加した場合に添付されるものです。


屋外では、プールのはしごみたいなのが前面についた機関車がありました。

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ちっちゃなガソリンスタンドは新しくなっていました。

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前回来た時に見た旧式のものはこちら。
とても可愛らしかったので、姿を消してしまったのは少しさみしい。

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そして「車体上げ・載せ作業実演」。これはこのイベントのなかでも最も迫力のあるデモンストレーションです。

ここでは、リフトによって吊り上げられた車両が…

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ビューンとやってきて目の前の上空を通過。

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普段は見ることができない、裏側部分も良く見えます。

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さらにさまざまなコンディションの車両を見学。
先頭部分が向き合って置かれている様子にはなんとなく違和感があります。
東海道新幹線は連結して走行することがないからでしょうか。

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内部に送風するためのチューブ。

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方向幕の実演コーナーは子どもたちにも人気のようでした。
いまは電光による表示の車両も増えましたから、物珍しさも強いのでしょうね。

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「加圧中」。ついマッサージを思い出します。

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そして今度は「トラバーサー」による車両の並行移動の実演を見学。

車両の先頭部分が飛行機みたいにぱかっと開いています。

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この装置では、車両の長さと同じ幅をもつレールの上を移動することにより、車両を横方向に動かせることができるのです。

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操縦室もこの装置に付随。

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味のあるイラストが目を引く啓蒙看板。

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今年のドクターイエローは線路がカーブしてある場所に配置されていました。なかなかよいポジションですね。

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敷地の端には「検査道場」と書かれた看板が掲げられている建物がありました。
「道場」という言葉に迫力を感じます。

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こちらの「特高圧注意」という表現にもつい緊張。

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「加圧中」。こちらは稲妻マークつきでした。

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浜松工場は、全体的に少しずつ設備がリニューアルされているようでした。

帰りはシャトルバスに乗車。

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こちらの降車ボタンはかなり個性的なものでした。
愛嬌たっぷりの運転士さんが描かれていますが、被服の実態がつかみづらい…!

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浜松駅のコンコースでは「ちくわの着ぐるみ」を見つけました。
桃山時代の祭礼図にも出てきそうです。


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浜松工場の公開は、「お金にきっちりしている」イメージが強いJR東海にしては、シャトルバスもイベントもすべて無料で、グッヅ販売も手ごろなものが主流。マニアックな要素が少ないせいもあってか、鉄道ファンよりも家族連れの割合が高い印象でした。

よくよく考えてみればこのイベント、将来の優秀な人材の確保に関して言えば、かなり有効な気もします。来場した子どもたちが大きくなる頃にはリニアも走っているんだろうな…。
7月14日。

国立新美術館で「フランス国立クリュニー中世美術館所蔵 貴婦人と一角獣展」を見てきました。


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西暦1500年頃に制作されたこの作品、これまでフランス国外に出たのは1974年にメトロポリタンでの展示の時のみであり、日本では初公開となります。

女性や花が麗しく表現された真っ赤な6連のタピスリーは、その図版を見ただけで強く印象に残るもので、実際にその作品を見てみたいと思っていた日本人の数は、少なくないのではないでしょうか。私の場合は、学生時代に西洋美術史に関する本を読んでいた時にこの作品を目にし、そのまま頭にインプットされたという記憶があります。

この日は会期末の週末ということもあり、会場には多くの人が訪れていました。

6点のタピスリーのうち5つはそれぞれ「触覚」「味覚」「嗅覚」「聴覚」「視覚」といった「五感」と結び付けられています。しかし、「我が唯一の望み」という言葉が記されている残り1点については、それが何を意味しているのかは諸説あるものの未だに不明です。

その1点を含め、6点の構図はおおよそ共通。そこでは無数の草花が壁紙のパターンのようにちりばめられた赤い背景の中に、円形の地面-ここも百花繚乱-が用意されており、そのうえに貴婦人と一角獣が侍女や動物たちとともにまるで舞台を演じるかのように配されています。

興味深かったのはその貴婦人たちの目つきです。「触覚」以外については、どれも伏し目がちなのです。楽器の鍵盤や動物など、顔より低い位置にあるものを見ているという状況を考えれば、当然の動作と言えるのですが、しかしたとえば「視覚」「嗅覚」の女性についてはまぶたが深くかぶせられたうえで三白眼に近い状態になっており、これはちょうど仏画における如来や菩薩の目の表現を思わせました。後者については花を持った手の捻じ方はまったくもって東洋的で…。

会場ではこのほか、作品に登場する動植物に関する詳細な分析の結果も示され、また描かれたモチーフに関する工芸品なども紹介されていました。

このタピスリーが語られる時にはしばしばその謎や寓意というものも併せて述べられるものですが、実際に自分の目で作品を見て感じたのは、それを除いたとしても非常に素晴らしい作品であるということ。表現力はもちろんのことですが、その織物としての技術のレベルも極めて高く、例えば画中に表現された繊維製品を見てみても、ドレス(特に、旗、クッションなどのそれぞれ異なる質感が表現されている様子はまさに見事としか言いようがありません。

自分は当時のフランスの染織の技術について詳しくはありませんが、絵画よりもはるかに緻密な計算をもって製作に臨まなければならない「織物」においてこのような表現が実現されたことは、当時のこの分野の裾野の広さや強力な発注者の存在を伺わせつつ、作品を前にしていると、やはりこれはその中でも稀有な存在であったのではないかと思うのでした。
by paginademaiko | 2013-09-21 07:38 | アート
7月9日。

鎌倉で展覧会をふたつ見た後、葉山へ移動。
そして神奈川県立近代美術館 葉山で「戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容」をみました。

これは同館の開館10周年を記念した企画で、戦前と戦後をつなぐ「1940年代」の美術の再検証を試みるという内容でした。

最初の展示室では朝井閑右衛門が1936年に制作した大作「丘の上」の華やかさが目を引きますが、まもなく展示は戦時色の強まりを伺わせはじめ、終盤に近いスペースは丸木位里・俊による「原爆の図」のために割かれていました。戦後にスポットを当てた最後の展示室では、それまでの展示でしばしば示されてきたような大型の作品は少なかったものの、その作者の名を見ると、閑右衛門をはじめ会場の序盤からくりかえし示されてきた作家たちであることが判ります。

1945年を境に「歴史」は戦前と戦後に分けられたけれども、生きている画家たちは絵を描き続けるという行為を通してその「形式的な断絶」を否定しているようでした。

その「戦後」には、この国の仕組みや社会は大きく変わり、同時に、多くの人が生業や生き方を変えました。その一方、この戦争や終戦によって筆を折った画家というのはどれだけいたのでしょうか…おそらく画家全体の割合からすれば、ごく僅かだったのではないかと思います。「画家として戦争に協力した者」も、そうではなかった者も、生き抜いた者の多くがその後も絵を描き続けた続けたという事実は、戦争が一過性の(しかしそれは繰り返されてきた)愚行であることを我々に伝えている気がします。そして同時に、彼らの心のなかにはその愚かな戦争によって命を落とした画家たちのことも、強く存在していたに違いありません。
by paginademaiko | 2013-09-21 07:30 | アート
7月9日。

この日は鎌倉と葉山へ。
神奈川県立近代美術館の3つの建物で開催されている展覧会を見てきました。


まずは鎌倉駅で下車をして、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館へ。
こちらでは「野中ユリ展 美しい本とともに」を見ました。


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野中ユリの展覧会は、以前からとても楽しみにしていたもので、気合たっぷりで会場に向かわせていただきました。…まるで天才的少女のまま歳を重ねたような作家によるその作品には、コラージュ等の技法を通じてその世界観が余すことなく表現されていました。彼女の作品を見ていると、美しさと不条理というものが、ここまで相性のよいものなのかと思わせられます。古今東西に流布したイメージを見事に融合させていくさまには、まさしくこの作家は「四次元の旅人」なのだと感じました。


続いては、神奈川県立近代美術館 鎌倉へ移動し「生誕100年 松田正平展 陽だまりの色とかたち」を観覧。

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松田正平の作品は「慈愛」と今風の言葉でいう「ユルさ」が共存。そこにはモチーフとなった土地や人物の気風に対する洞察の鋭さが感じられましたが、、一貫して用いられているおだやかな色調がその鋭さをふんわりと包み込んでおり、和ましい気持ちで鑑賞をすることができました。特に記憶に残ったのは、マスクを片方の耳にかけた状態のおばあちゃんを描いた作品。前後の作品が思い出せないくらいの強いインパクトでした。

その後は、横須賀線と京急バスを乗りついて葉山へ移動。
by paginademaiko | 2013-09-21 07:24 | アート
6月22日。

実家の家族と熱海の「かんぽの宿」に宿泊。
「かんぽの宿」ファンの母親が予約をしてくれたこちらの宿、高台にあって眺めがとても素晴らしいものでした。

広々としたテラス、そしてそれに面したバスルームからは海や市街地を見下ろすことができました。


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そしてさらに嬉しかったのは…東海道線、伊東線そして東海道新幹線の線路が見えるということ。


ということで、翌朝はサンライズ号(上り)の通過を待ち伏せ。

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朝からよい鉄活動ができました。
5月30日。

この日は六本木の東京ミッドタウンを訪問。
サントリー美術館の「「もののあはれ」と日本の美」、そしてTIME&STYLE MIDTOWNで「高柳恵里 不意打ち」を見てきました。


サントリー美術館の企画展は見るたび贅沢で上品だと感じますが、特に今回は「日本の美」という言葉を用いているだけあって、その内容は輪をかけて耽美。その内容は、和様の目覚めを迎えた平安後期以降から現代に至るまでの美術・工芸品から、「もののあはれ」の美学を体現する優品が選び出され、「貴族、本居宣長、文学や四季といったテーマのもとに8つの章に分けて展示されるというものでした。

「もののあはれ」は、一言でいうならば「移ろいゆくものへの惜別や慈しみの念」といえるでしょう。一方で、この言葉が決定的な暗さを呈さないのは、そこにわずかな再会への希望が入り混じっているから-その理由として考えられるのは、、この美的感覚を生み出した土壌は季節ごとに多様な表情を見せる自然であり、いずれは同じ季節が必ず廻ってくることを誰もが感覚的に知っていたからだと私は思います。

このように、古来より日本人は過ぎ去るものへの愛しさを視覚芸術や文学の中に留めるようにして数多くの作品を生み出てきたわけですが、そこに描かれる動植物や風習は、多くの場合その様態の表現以上の意味を託されてきたことも事実。それは諸行無常といった仏教的世界観や、あるいは恋愛や権力といった感情や欲望の依り代として機能し、様々なメッセージを人々に伝えてきたのです。

今回の出品作品は会期全体を通して146点。そのうち第六章の「「もののあはれ」と花鳥風月 移り変わる日本の四季」には40点がエントリーしていました。ここで特に印象に残ったのは同館の所蔵作品である「秋冬花鳥図屏風」。16世紀の作品ですが、様々な鳥類が描かれており、制作者の博物学的興味を伺わせました。

一方、それとは対照的に表現主義的な例として記憶されたのは第七章「秋草にみる「もののあはれ」抒情のリズムと調和の美」に出品されていた尾形乾山の「錆絵染付金彩薄文蓋物」。蓋付きの箱状の焼き物ですが、外側に描かれたススキの文様の乱れようが激しく、つい想起してしまったのはポロックの作品…そういえばそのポロックの作品には「秋のリズム」(Autumn Rhythm, 1950, メトロポリタン美術館)というものもあったっけ。


終盤には近世から近現代にかけて継承された「もののあはれ」を、庶民を主役とした作品を通じて紹介するという試みが行われていました。その最後に展示されていたのは、鏑木清方の代表作のひとつであり、市井の人々の1日を絵巻の中に描き連ねた「朝夕安居」。スペースの都合かそれは1m程の長さに限定された状態となっていましたが、そこで選ばれていたのは朝顔が描かれているシーンでした。朝顔が花を開くのはたった1日だけ、しかも朝のうちの数時間だけです。しかし朝顔という花は強いもので、露地に根付けば毎年同じ時期に芽を出して花を咲かせるし、それのかなわない都市部においては朝顔市や縁日といったシステムを通じて毎年初夏に人々の側に現れます。やはり「もののあはれ」に「断定的な別離」は似合わない-そう思わせる締めくくりでした。




続いては同じミッドタウンの中にあるTIME&STYLE MIDTOWNで開催中の「高柳恵里 不意打ち」へ。

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こちらはハイセンスなインテリア・ショップのなかに、写真作品やインスタレーションが紛れ込むように展示されているというもので、その数は実に30点以上。それはクールかつどこかコミカルであり、ひそやかなデペイズマンとでも形容したい風情です。この作家の作品は、最初その写真を見て一目ぼれしてしまったのですが、今回の展示を見て感じたのは、作家にとっては、写真を撮ることも空間を作ることもさして変わりの無いことなのかもしれないかということ。個人的には、今後は歴史的建造物とかを使った「不意打ち」も見てみたい。
by paginademaiko | 2013-09-13 08:24 | アート
5月25日。

この日は「神奈川臨海鉄道創立50周年イベント」に行ってきました。

会場は、同社の横浜本牧駅構内。
当日は最寄の旅客駅であるJR根岸駅からシャトルバスが運行されていました。

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ここからの現地までは15分ほどで到着。
鉄道ファンのほか、家族連れも多くみられました。


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この日の花形は、神奈川臨海鉄道が静態保存している「C56」。この機関車には無蓋車「トラ」、そしてコンテナ輸送50周年の記念コンテナが連結していました。

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普段はなかなか見られない機関車ということもあって、ギャラリーの熱気もすごかったです。

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JOTのコンテナ。

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おっ、ステンレスのタキ車「143645」!
1両だけ製造されたこのタイプの貨車、昨年の京葉臨海鉄道でのイベントに続いて2回目の目撃です。

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そして普段こちらで働いているディーゼル機関車諸氏。

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ながらく同社の主力機関車であったDD55と、それに代わって導入が進められている新型車両DD60が展示されていました。

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目立たない位置ではありましたが、車掌車「ヨ」もさりげなくエントリーしていました。

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物販のコーナーもたいへんにぎわっていました。
グッヅにはあまり興味がないので、この日も会場ではお金を1円も落とさず…ゴメンナサイ。

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この日はその後、お出迎えのため成田空港まで。

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飛行機は、乗るのは苦手だけど見るのは結構好き。世界中の国々とダイレクトにつながっている国際空港という場所は、ただそこにいるだけでワクワクします。
5月9日。


この日最後に訪れたのは、静岡市美術館

こちらでは「藤田嗣治渡仏100周年記念 レオナール・フジタとパリ 1913ー1931」を見ました。


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フジタの展覧会はこれまでも何回か見たことがありますが、今回は最初の渡仏から南米へと旅立つまでの約18年の活動にテーマを絞った内容となっていました。会場には、初めて見る作品や資料も多く展示されており、この作家の知られざる一面に出会えた機会となりました。

展示はフジタに関する5つの章に加え、彼と交友関係にあった芸術家たちを紹介するコーナーも設けられていました。最初の章では、渡仏前後の資料が展示されていましたが、ここで注目されたのは日本に残してきた最初の妻である、とみ夫人宛の書簡。筆跡からも内容からも几帳面な性格が伝わってくるようでした。夫人へはフランスのファッション雑誌なども送られていて、そこには内容を日本語に訳したメモなどが添えられていました。

フジタは生涯に5回の結婚をしましたが、なかでもこの最初の妻についてはこれまであまり語られることがなく、私自身、この女性に関してはフジタの渡仏後、その存在は急にフェイドアウトしたかのような印象を持っていました。しかし、今回の資料からは我が道のために妻を日本に置いてきた夫としての気遣いを伺うことができ、芸術を人生の第一義としてこれを最優先事項としながらも、少なくとも数年間は夫婦関係というものを自覚していたことが察せられました。

その次の章は「模索の時代ーパリの潮流のなかで」と題され、1916年金頃までの作品が展示されていました。この時期のフジタの作品は、文字どおり、当時パリで活躍していたアーティストたち‐たとえばピカソ‐から強い影響を受けていることが明らかです。しかし作家は数年間の模索の時期を経た後、1917年頃には独自の画風を確立に成功し、これにより華々しいデビューを迎えることになります。その当時の作品ははっきりとした輪郭線をもち、長く引き伸ばされた人体(特にそれは手指において顕著)を特徴とするもので、色彩も含めてエキゾチズムを強く感じさせるもの。そして、その後一気にパリ画壇のスターダムの座へと駆け上っていったフジタは、まもなくしてこの作家の評価を決定的なものとした「乳白色の裸婦」のシリーズが生み出すことになります。展覧会では、このデビュー期と、エコール・ド・パリの栄光期をそれぞれ3番目と4番目の章で取り上げており、続く第5章では南米経由で日本に向かう時期にスポットを当て、最初の渡仏期におけるフジタの足取りを締めくくっていました。

なめらかな肌をもった美しい裸婦を描くことで、パリ画壇における地位を確立したフジタ。今回の会場でもそのような作品が数多く出品されていましたが、私がこの日に初めて目にした作品として強く記憶に残ったのは『…風に』と名付けられたシリーズです。これは、3人目の妻・ユキ(リュシー・バドゥー)のために私的に描かれたもので、有名な芸術家たちの画風を模して描いた計26枚の素描。素描といってもガッシュや水彩も用いており、作品が並ぶ様子はとても華やかです。模倣されているのは、レンブラントを除いては印象派以降の画家たちが中心となっており、シスレー、ユトリロ風では安定した構図の風景画を描き、ヴァン・ドンゲンやパスキン風では線を軽やかに扱って裸婦を表現するなど内容はきわめて多様。いずれもその筆致からは素早く短時間で描かれたとがわかりますが、それにもかかわらずこちらが絵を見た瞬間に画家の名前がパッと浮かぶのは、フジタの鑑賞眼の鋭さと技術の器用さを見事に実証しているものといえるでしょう。

会場の終盤では、フジタと交流のあった画家たちの作品が紹介されていました。モディリアーニやキスリングといったエコール・ド・パリの画家たちがフジタと親しく交わった画家として良く知られていますが、それ以上に今回の出品作家のなかで注目されたのは、板東敏雄と小柳正という2人の日本人画家。板東はフジタがフェルナンドと暮らして時代、一時期ともに暮らしていた画家で、一方小柳はそのフェルナンドと恋人関係になり、フジタとこの妻との別れのきっかけのひとつをつくった人物です。

展覧会の構成を通じて「よく出来ているなあ」と感じたのは、とりわけ第3、4、5章はそれぞれ作家に連れ添い、制作あるいは性格を支えた3人の妻たち-フェルナンド、ユキ、マドレーヌ-との関係期間とリンクしていることがはっきりと感じられたこと。最初の妻、とみを含めてフジタの芸術というのは、常に彼女たちとの出会いと別れと共に展開し続けたといえ、言い換えれば、それらの女性たちの存在なくしてフジタという作家は生まれなかったということも過言ではないと思います。


ちなみに、フジタは20年近いパリ生活のなかで、自宅やアトリエの場所も幾度となく変えています。これに関して、会場ではフジタゆかりの場所の今の姿を辿る映像が上映されていましたが、そのうち1917年から22年という重要な時期を過ごし、先述の板東も同居していた「ドランブル街のアトリエ」は現在はアトリエではなく倉庫になっているとのことでした。そして、個人的に「おっ!」と思ったのは、その内部の様子を紹介するシーンで、一瞬だけ映し出されたカットに見覚えのある大型の写真作品が映りこんでいたこと…それは1930年に撮影されたシャルロット・ペリアンのポートレートでした。その写真がどのような経緯でそこに置かれていたかは私にはわかりませんし、有名な作品なので多くの人々が様々なかたちで所有していることもおそらく事実でしょう。しかし、この建築家・デザイナーが戦前の日本にに輸出用工芸品の指導者として招かれていたという事実は当時のフランス人女性のキャリアとしては極めて特殊な事例を思うと、それはフランスにおいて日本人としては唯一無二の評価を確立したフジタと、ある種の対照を成しているように感じられます。フジタのアトリエ跡にペリアンの写真が飾られていたという事実は、ちょっとした偶然ではありますが私にとってはとても刺激的であり、同時にパリという町の文化的な密度を想起させずにはいられませんでした。


今回のフジタ展では、様々な事情でこれまで大々的に公開することができなかった資料がまだまだ多く存在することを知り、そして今後は一層多角的なかたちでこの作家の研究が進められることを予感させるものとなりました。ここ数年のうちに見たフジタ展のなかでも、最も満足度の高いもののひとつとなりました。
by paginademaiko | 2013-09-12 10:54 | アート
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